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高井利一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高井 利一郎[1](たかい りいちろう、1859年6月17日安政6年5月17日[2] - 没年不明)は、日本政治家姫路市会議員)[2][3]名望家[4]実業家。高井織物取締役社長[5]。高井綿ネル工場主[2]。万里銀行取締役[2]。姫路足袋相談役[5]。中播織物同業組合長[2]。族籍は兵庫県平民[2]

人物

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兵庫県平民・中山治三郎の弟[2]1883年6月、先代高井つねの入夫となり、家督を相続した[2]。初め県立師範学校を卒業し教鞭を執ったが、のち染木綿手拭製造を創めた[2]。経営は思うようにならなかったので方法を改め新たに海外より諸機械を購入し、原料を精選し製品が精良になるように努めた結果声価が高まった[2]

年産額32万円に達し直接国税954余円を納める盛況を見た[2]1916年、株式組織に変更し社長となった[6]。又諸種の公共事業に尽瘁し、市会議員、市参事会員等に選ばれた[2]。住所は兵庫県姫路市大黒町[2]

家族・親族

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高井家
  • 妻・つね1856年 - ?、兵庫、高井利平の次女)[2]
  • 長男・喜一[2]
    • 同妻・とき1884年 - ?、兵庫、沖塩藤太郎の妹)[2]
    • 同長男・利一郎[7](前名・政一1906年 - ?、サクライ代表社員) - 1926年家督を相続、前名・政一を改め襲名する[7]婦人服装専門店を経営し、サクライ代表社員である[7]
  • 次女・かつ(1884年 - ?)[2]
  • 次男・利助1886年 - ?、分家、万里銀行、高井織物各取締役[5]
    • 同妻・房子1890年 - ?、兵庫、西谷惣太郎の二女)[6]
  • 四男・為一(1890年 - ?、分家)[2]
  • 四女・つる1895年 - ?)[6]
  • 五女・てる1896年 - ?、兵庫、畠山一郎の弟・愛二の妻)[6]
  • [2]
親戚

脚注

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  1. ^ 『大日本紳士鑑』兵庫県姫路市326頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『人事興信録 第4版』た57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月17日閲覧。
  3. ^ 『姫路市史 市制施行三十年記念』169 - 171頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月17日閲覧。
  4. ^ 『帝国名望家大全』136頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月16日閲覧。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第6版』た67 - 68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月17日閲覧。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第7版』た83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月17日閲覧。
  7. ^ a b c 『人事興信録 第13版 下』タ90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年7月22日閲覧。

参考文献

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  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 播磨史談会編『姫路市史 市制施行三十年記念』姫路市、1919年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。