馬杉復三
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馬杉 復三(ますぎ またぞう、1896年(明治29年)5月18日[1] - 1947年(昭和17年)9月5日)は、日本の病理学者である[2][3]。旧姓は望月[2]。
経歴・人物
[編集]滋賀県大津市に生まれ[2][3]、滋賀県立膳所中学校、第三高等学校を卒業後[1]、東京帝国大学医学部(現在の東京大学大学院医学系研究科・医学部)医学科に入学する[2][3]。同大学の教授だった緒方知三郎から病原学を学び[3]、1921年(大正10年)に卒業した[3]。1925年(大正15年)に研究のためにヨーロッパに留学し[2][3]、帰国後の1927年(昭和2年)に千葉医科大学(現在の千葉大学医学部)にて教鞭を執った[2][3]。
その後は教授としての活動の傍ら腎臓炎を発症させるために[2][3]、実験動物に抗腎血清を投与させその原因としてアレルギー反応と証明される研究を行う[2]。この業績により後の1939年(昭和14年)には自身の名に因んだ病名である「馬杉腎炎」が登録され世界的に知られるようになり[2][3]、医学博士を取得した[3]。1944年(昭和19年)に千葉大学を退官し[3]、晩年は順天堂医学専門学校(現在の順天堂大学医学部)および東京医学専門学校(現在の東京医科大学)教授を務めた[2][3]。
著書
[編集]- 『結核の病理とアレルギー』
- 『腎炎その他の研究』