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香西宏昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
香西 宏昭
個人情報
生誕 (1988-07-14) 1988年7月14日(36歳)
日本の旗 日本 神奈川県茅ヶ崎市
スポーツ
競技車いすバスケットボール
障害クラス3.5
チームRSV Lahn Dill, NO EXCUSE
獲得メダル
日本の旗 日本
男子 車いすバスケットボール
パラリンピック
2020 東京
アジアパラ競技大会
2014 仁川
2018 ジャカルタ

香西 宏昭(こうざい ひろあき、1988年7月14日 - )はプロ車椅子バスケットボール選手。神奈川県茅ヶ崎市生まれ[1]。ポジションはスモールフォワード。ドイツ・ブンデスリーガのRSV Lahn Dill所属[2]、 日本ではNO EXCUSE所属[3]車いすバスケットボール男子日本代表選手。

来歴

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先天性両下肢欠損[4]。小学6年生のときに車いすバスケットボールの体験会に参加し、指導していた選手に誘われ、クラブチーム「千葉ホークス」に入団。中学1年生の夏休み、札幌キャンプ(車いすバスケットボールキャンプ)に参加し、イリノイ大学兼カナダ代表ヘッドコーチのマイク・フログリーの指導を受ける[5]。千葉ホークスでは、2005年から日本車椅子バスケットボール選手権大会で3連覇メンバーとなり、2006年と2007年にMVPを受賞[4]

高校卒業後の2007年夏に渡米し、イリノイ州のコミュニティカレッジに進学[5]。2010年1月、フログリーがヘッドコーチを務めるイリノイ大学に編入学し、同年の全米大学選手権で優勝に貢献。2011年と2012年は全米準優勝。2012年と2013年はチームのキャプテンを務め、全米大学リーグのシーズンMVPを2シーズン連続で受賞している。[5]

2013年8月に大学卒業した後、9月にドイツ・ブンデスリーガのハンブルクにプロ契約選手として入団[5]

2014年日本での所属チームを「NO EXCUSE」に変更。

2017年、ブンデスリーガのRSV Lahn Dillに移籍[5]。2017-18シーズンにドイツカップで優勝。リーグ戦は2シーズン連続で準優勝の成績を収めた[6]

2019年、東京パラリンピックに備えるため、RSV Lahn Dillを退団し、活動の軸足を日本国内に移した[7]

2021年、東京パラリンピック終了後にRSV Lahn Dill復帰[2]

日本代表歴

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高校1年生のとき、U-23車いすバスケットボール男子日本代表に選出される。2005年ジュニア世界選手権で準優勝し、オールスター5を受賞[4]。2006年、車いすバスケットボール男子日本代表に選出され、IWBF車いすバスケットボール世界選手権に出場。2008年、北京パラリンピックでパラリンピックに初出場し、以後、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ、2021年東京と4大会連続で出場。銀メダルを獲得した東京大会は、通算フィールドゴール成功率55.1%で第3位、とりわけ3ポイントシュートは成功数14本および成功率51.9%は共にトップとなり、イリノイ大学時代から香西を知るアメリカ代表ヘッドコーチのロン・ライキンスなど世界の多数から称賛された[8]

プレースタイル

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シューターとして得点を狙いながら、他の選手への効果的なアシストが出来るオールラウンダー[1]。アメリカのイリノイ大学とドイツのプロチームで長年プレーして磨いたワールドクラスのスピード、テクニック、シュート力などを有する日本のエースの一人[3]

脚注

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外部リンク

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