飯盛町
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(飯盛村から転送)
いいもりちょう 飯盛町 | |||||
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廃止日 | 2005年3月1日[1] | ||||
廃止理由 |
新設合併 諫早市、西彼杵郡多良見町、森山町、飯盛町、高来町、小長井町 → 諫早市[1] | ||||
現在の自治体 | 諫早市[1] | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 長崎県 | ||||
郡 | 北高来郡 | ||||
市町村コード | 42342-4 | ||||
面積 | 24.83 km2. | ||||
総人口 |
7,925人 (推計人口、2005年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 長崎市、諫早市 | ||||
町の木 | ツバキ | ||||
町の花 | コスモス | ||||
飯盛町役場 | |||||
所在地 |
〒854-1112 長崎県北高来郡飯盛町開名1929番地3 | ||||
外部リンク |
飯盛町 (Internet archive) | ||||
座標 | 北緯32度46分53秒 東経130度01分25秒 / 北緯32.78136度 東経130.02369度座標: 北緯32度46分53秒 東経130度01分25秒 / 北緯32.78136度 東経130.02369度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2005年(平成17年)3月1日に諫早市、多良見町、森山町、高来町、小長井町と合併、新生諫早市の一部となった[1]。
概要
[編集]長崎市と諫早市の間に挟まれた町。飯盛山をはじめとする山々に囲まれ、南岸を橘湾に面した港湾街を成す。第一次産業の盛んな町である[2]。
地理
[編集]- 山:八天岳、飯盛山、佐田岳、金比羅岳、松尾岳
- 島嶼:前ノ島、向島、上ノ島、下ノ島
- 台地:牧野台地
- 河川:江ノ浦川、田結川、山口川、石原川
- 港湾:橘湾、田結港、江ノ浦漁港
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、北高来郡のうち後の町域にあたる江ノ浦村、田結村が成立する。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 江ノ浦村、田結村が合併し、飯盛村が発足。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 飯盛村が町制施行し飯盛町となる。
- 1989年(平成元年)
- 1999年(平成11年)3月12日 - 町民憲章を制定する[4]。
- 2001年(平成13年)2月 - 月の丘公園が完成する[5]。
- 2005年(平成17年)3月1日 - 諫早市、西彼杵郡多良見町、北高来郡森山町、高来町、小長井町と合併して新設の諫早市が発足し、飯盛町は自治体として消滅。
地名
[編集]名を行政区域とする。旧江ノ浦村・旧田結村ともに1889年の町村制施行時に合併を行っていないため、大字は設置していない。
諫早市(2代目)発足時に「名」の文字を削除し、旧来の名の名称に「飯盛町」を冠した町名に変更された。
- 旧江ノ浦村
- 旧田結村
- 池下名
- 川下名
- 古場名
- 里名[10]
行政
[編集]町章
[編集]制定当時の飯盛町助役の山口惣右エ門の作品である「い」を図案化し、二人の人間が手を取り合った姿を図案化した円は「輪(和)」を表したものである。色は円の部分は赤色が指定されている[4][11]。
教育
[編集]- 中学校
- 小学校
交通
[編集]道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]名所・旧跡・観光スポット
[編集]祭事・催事
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 梶原馨『長崎県紋章大観』往来社、1987年11月8日。
- 飯盛町企画課『飯盛町町勢要覧』長崎県北高木郡飯盛町、2001年3月。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 飯盛町(Internet archive)