コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

飯田宏行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯田 宏行
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県熊毛郡田布施町
生年月日 (1980-08-19) 1980年8月19日(44歳)
身長
体重
188 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • 徳山大学

飯田 宏行(いいだ ひろゆき、1980年8月19日 - )は、山口県熊毛郡田布施町出身の元プロ野球選手投手)、整体師、元大学野球監督。右投右打。

来歴・人物

[編集]

下松工業高校では2年秋の県大会で8強に入る。

徳山大学に進学し、2年春には岡山大戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成[1]。2、3年と明治神宮大会に出場し、いずれも先発したが2年時は優勝した慶大長田秀一郎中村泰広と投げ合うも9回サヨナラ本塁打を浴びる、3年時も初戦コールド負け。在学中には日本代表候補として阪神タイガースの春季キャンプ(2002年)に派遣された。大学通算成績は5勝6敗、防御率2.08、113奪三振。細身ながら長身から繰り出される速球は魅力十分で、日本の8球団が獲得に動いていたが、本人はメジャーリーグ志向から誘いを断り、ドラフトには指名されなかった[2]

大学卒業後に渡米し、2003年ミネソタ・ツインズとマイナー契約。18試合に登板し1勝[1]2004年に傘下1Aに所属するも右肩を故障。2005年は登板機会がなく、3月に解雇された。

同年9月23日の入団テスト、日南秋季キャンプでの最終テストを経て大学生・社会人ドラフトで5巡目に指名され広島東洋カープに入団。同球団初の逆輸入選手となった。しかし入団直後に右肩を痛め、2006年オフ、二軍でも一度も登板することなく戦力外通告を受けた。育成選手として再契約しサイドスローへの転向を試みるも、2007年オフに再び戦力外を通告され現役を引退した。

引退後は広島県整体師のもとで修行を積み、2008年5月より山口県周南市で「いいだ健康センター」を開業した[3]。その傍ら、2013年4月から2016年3月までの3年間、母校である徳山大学硬式野球部の監督も務めていた。在任中にはチームにとって5年ぶり9回目となる第45回明治神宮野球大会への出場を果たしている[4]

選手としての特徴

[編集]

元々は、大学時代に153kmを記録したストレートと、鋭いフォークを上手から投げ込む投球スタイルだった。プロ入り後の2007年、痛みを抱える右肩への負担軽減のためサイドスローへ転向した[2][5]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]
  • 一軍公式戦出場なし

背番号

[編集]
  • 56 (2006年)
  • 121 (2007年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 2006プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ a b 新生赤ヘル ルーキー群像
  3. ^ いいだ健康センター”. web TOWN トライアングル. 2020年9月18日閲覧。
  4. ^ 野球部のご紹介”. 徳山大学 硬式野球部. 2020年9月18日閲覧。
  5. ^ 網孝広 (2007年7月5日). “広島飯田が苦渋決断、サイドスロー転向”. 日刊スポーツ. http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20070705-222521.html 2010年5月27日閲覧。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]