飯沼長継
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 生年不明 |
死没 | 天正11年(1583年) |
改名 | 長継→常念(号) |
別名 | 勘平(通称) |
主君 | 斎藤氏→織田信長→豊臣秀吉 |
氏族 | 飯沼氏 |
父母 | 父:飯沼長就 |
子 | 長実 |
飯沼 長継(いいぬま ながつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。美濃国池尻城主。身長が高く目が大きかったため、織田信長の命で蛇の目を家紋にしたと伝わる。
略歴
[編集]はじめ斎藤氏に仕えた。家督を継承した後に池尻城主となり、元亀元年(1570年)の姉川の戦いにおける浅井氏の横山城への攻撃や、同年の朝倉氏との堅田の戦いで戦功をたてた。この際、一族の飯沼長宗らが戦死している。また、信長に従い長島一向一揆や越前一向一揆にも従軍した。
天正10年(1582年)の本能寺の変後、長継は羽柴秀吉に仕えて織田信孝と対決する姿勢を示し、翌年の天正11年(1583年)4月17日に、秀吉から大刀一振と黄金を与えられた。しかし、秀吉に信孝との内通の疑いをかけられ、大垣城にて処刑された。居城は没収され、子の長実は織田秀信に仕えた。