飯塚淳一郎
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飯塚淳一郎 | |
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生誕 | 1887年10月15日 |
死没 | 1967年6月23日 |
居住 | 日本 |
研究機関 |
大阪歯科医学専門学校 (現:大阪歯科大学) |
出身校 | デンバー大学 |
プロジェクト:人物伝 |
飯塚淳一郎(いいづか じゅんいちろう、1887年10月15日 - 1967年6月23日)は、日本の歯学者。大阪歯科大学初代学長。
経歴
[編集]- 1887年(明治20年)10月15日 - 和歌山県晩稲村(現:みなべ町)に生まれる。旧名:坂本傳右衛門。5人兄弟の末っ子として生まれる。たなべ中学校へ進学
- 1914年(大正3年) - 南カルフォルニア大学に入学[1][2]
- 1918年(大正7年) - コロラド州の歯科医師試験に合格。同年10月にはデンバー市に歯科医院を開業。
- 1921年(大正10年) - 大阪歯科医学専門学校 教授就任
- 1941年(昭和16年) - 大阪歯科医学専門学校 校長
- 1963年(昭和38年)- 大阪歯科大学理事会(飯塚淳一郎理事長)において、歯科技工士養成所の設立を決定
- 1989年(平成元年) - 淳一郎の功績を称え生家近くに句碑が建立された。
その後、占領軍の統治下となった日本では教育機関の整理が行われ、大阪歯科医学専門学校も廃校になるという噂が流れる。それを聞いた淳一郎は占領軍の最高司令官のもとへ行き、日本における歯科教育の必要性を訴えた。その熱意により学校は「大阪歯科大学」と名を変え存続、淳一郎は大学長・理事長などを歴任し、歯学界の発展に絶大な指導力を発揮した。
脚注
[編集]- ^ 医学者 飯塚 淳一郎(いいづか じゅんいちろう)|和歌山県ふるさとアーカイブ
- ^ (日本語) 飯塚淳一郎物語~苦学力行歯科医術の向上に貢献した人~前編 2022年1月19日閲覧。