飛鳥みさ子
表示
あすか みさこ 飛鳥 みさ子 | |
---|---|
本名 | 犬飼 淑乃(いぬかい よしの) |
生年月日 | 1935年12月13日 |
没年月日 | 1998年7月9日(62歳没) |
出生地 | 日本 愛知県挙母市(現在の同県豊田市) |
職業 | 元女優 |
ジャンル | 劇映画(時代劇・現代劇、トーキー)、テレビ映画 |
活動期間 | 1955年 - 1963年 |
主な作品 | |
『若い樹』 |
飛鳥 みさ子(あすか みさこ、1935年12月13日 - 1998年7月9日[1])は、日本の元女優である[2][3][4]。本名は犬飼 淑乃(いぬかい よしの)[3][4]。
来歴・人物
[編集]1935年(昭和10年)12月13日、愛知県挙母市(現在の同県豊田市)に生まれる[3][4]。
1954年(昭和29年)、神奈川県立横須賀大津高等学校を卒業後、東宝舞踊学校へ入所[3][4]。1955年(昭和30年)4月、第10期東宝ニューフェイスとなり、東宝と専属契約を結ぶ[3][4]。翌1956年(昭和31年)1月22日に公開された本多猪四郎監督映画『若い樹』で映画デビューを果たし、以後、ジャンルを問わず多くの作品に出演[3][4]。特に、1958年(昭和33年)1月6日から放映された菊田一夫原作のテレビドラマ『人知れずこそ』(KRテレビ系列)では、同じく東宝の専属俳優だった大塚国夫と主役を務め、一躍話題となった[3]。また、1961年(昭和36年)3月、フィリピン共和国マニラで開催された第8回アジア映画祭(現在のアジア太平洋映画祭)に、永田雅一、伊藤義をはじめ、女優の原知佐子、叶順子らと参加した記録が残っている[5][6]。
ところが、1962年(昭和37年)11月3日に公開された稲垣浩監督映画『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』に脇役出演したのを最後に東宝を退社し、フリーとなったが、ほどなくして芸能界を引退した[3][4]。以後の消息は不明とされていた[3]が、1998年(平成10年)7月9日、急性冠症候群のため亡くなっていたことが分かった[1]。満62歳没。
出演作品
[編集]東宝
[編集]特筆以外、全て製作・配給は「東宝」である。
- 若い樹(1956年、本多猪四郎監督) - 矢部ミサ子 ※デビュー作[3][4]
- 見事な娘(1956年、瑞穗春海監督)
- のり平の三等亭主 愉快な家族(1956年、丸林久信監督) - 正子
- のり平の浮気大学 愉快な家族(1956年、丸林久信監督) - 正子
- 新婚第一課(1956年、筧正典監督) - 東
- 若人の凱歌(1956年、青柳信雄監督)
- 早く帰ってコ(1957年、斎藤達雄監督) - 小原京子
- その夜のひめごと(1957年、木村惠吾監督) - ナオミ
- 東京の休日(1958年、山本嘉次郎監督) - ファッションモデルH
- 人生劇場 青春篇(1958年、杉江敏男監督) - おりん
- まり子自叙伝 花咲く星座(1959年、松林宗恵監督) - 桜井京美
- 日本誕生(1959年、稲垣浩監督)
- 花嫁さんは世界一(1959年、新藤兼人監督)※東京映画製作
- 侍とお姐ちゃん(1960年、杉江敏男監督)
- 新・三等重役 当るも八卦の巻(1960年、杉江敏男監督)
- 別離の歌(1960年、瑞穗春海監督) - 女給・良子 ※東京映画製作
- 新・女大学(1960年、久松静児監督) - 座談会の司会者
- サラリーマン忠臣蔵(1960年、杉江敏男監督)
- 社長道中記(1961年、松林宗恵監督) - 列車の美人
- アッちゃんのベビーギャング(1961年、杉江敏男監督)
- 黒い画集 寒流(1961年、鈴木英夫監督) - 桑山の情婦B
- 暗黒街撃滅命令(1961年、福田純監督) - 吉井千枝子
- 愛のうず潮(1962年、久松静児監督) - E夫人
- 香港の星(1962年、千葉泰樹監督) - モデル
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年、稲垣浩監督) - 汐路太夫
テレビドラマ
[編集]- ナショナルゴールデンアワー(KRテレビ系列)
- 人知れずこそ(1958年) - 悠子(主演)