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風間八左衛門

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風間八左衛門

風間 八左衛門(かざま はちざえもん、1879年明治12年)6月27日[1] - 1942年昭和17年)10月21日[2])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員衆議院議員。旧名は嘉一[1]

経歴

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先代風間八左衛門の長男として[1]京都府葛野郡桂村(現・京都市西京区)に生まれる[3]。風間家は当主が代々八左衞門を襲名し醤油商「鍋屋」を営み十数代を数える京都府下の豪家だった[4]1888年(明治21年)12月、襲名し家督を相続する[1]。桂村会議員、京都府農会長、広島瓦斯専務取締役、三国紡績常務取締役、帝国石油・愛国生命保険・日本活動写真・桜セメント各取締役、帝国工業・太湖汽船各社長、嵯峨銀行監査役を歴任する[2]

1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で京都府第3区から立憲政友会所属で出馬して当選し[3]、1期務めた[2]。ほか、京都府多額納税者として貴族院議員に互選され[5]、1925年(大正14年)9月29日に就任し[6][7]研究会に属して活動し[6]、3期在任して1942年2月7日に退任した[6][8]

親族

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  • 妻のさく(1877年生)は京都、中路關之助長女[4]
  • 長男の嘉雄(1900年生、のち八左衛門を襲名)は、慶應義塾理財科卒業後、東京毛織、合同毛織を経て津村順天堂役員[9]。その妻・英子(1906-2003)は津村順天堂創業者で貴族院議員の津村重舎二女[4]日本女子大学[10]。その長男・風間八左衛門(1933年生、旧名・智)は第一製薬常務から1995年にツムラ立て直しのため同社四代目社長に就任、のち会長を務めた[11][12]。2024年死去[13]
  • 小原キシとの間に一男四女あり[4]

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1915, か95頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1962, 131頁.
  3. ^ a b 衆議院事務局 1920, 165頁.
  4. ^ a b c d 風間八左衛門『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  5. ^ 人事興信所 1928, カ60頁.
  6. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』194頁。
  7. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
  8. ^ 『官報』第4524号、昭和17年2月9日。
  9. ^ 風間八左衛門『人事興信録』第14版 上
  10. ^ 風間嘉雄『人事興信録』第12版(昭和14年) 上
  11. ^ 風間英子さん死去/風間八左衛門ツムラ社長の母四国新聞社、2003/10/30
  12. ^ 「漢方のツムラ」多角化失敗からの超復活劇東洋経済、2018/10/29
  13. ^ “風間八左衛門さん死去 元ツムラ社長”. JIJI.com. https://www.jiji.com/jc/article?k=2024112801064&g=eco 2024年11月29日閲覧。 

参考文献

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