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風早清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
風早 清
生誕 1888年12月21日
日本の旗 日本 兵庫県
死没 (1949-08-19) 1949年8月19日(60歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1942年
最終階級 陸軍少将
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風早 清(かぜはや きよし、1888年明治21年)12月21日[1] - 1949年昭和24年)8月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1888年(明治21年)に兵庫県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1936年(昭和11年)8月に陸軍技術本部部員に就任し[2]1937年(昭和12年)3月1日陸軍工兵大佐に進級した[2]。同年8月24日には兵科将校、軍医、獣医、陸軍習志野学校陸軍科学研究所第3部の技官、下士官からなる第2野戦化学実験部長に就任し[2][3]上海派遣軍の隷下部隊として[3]9月12日揚子江河口南岸に上陸[3]上海戦線前線に出動し[3]中国軍が使用した催涙性ガス弾や黄燐弾の破片等を収集した[3]1938年(昭和13年)7月に工兵第8連隊長に転じた[2]

1940年(昭和15年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]澎湖島要塞司令官に着任した[1]1942年(昭和17年)12月1日に待命[2]12月28日予備役に編入された[2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e 福川 2001, 203頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 284頁.
  3. ^ a b c d e 伴 2010, 163頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  5. ^ 『官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 伴繁雄 著『陸軍登戸研究所の真実』芙蓉書房出版、2010年。ISBN 4829504897