願照寺
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願照寺 | |
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所在地 | 愛知県岡崎市舳越町本郷32 |
位置 | 北緯34度58分34.291秒 東経137度8分23.005秒 / 北緯34.97619194度 東経137.13972361度座標: 北緯34度58分34.291秒 東経137度8分23.005秒 / 北緯34.97619194度 東経137.13972361度 |
山号 | 昭高山 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
開基 | 専信房専海 |
文化財 | 絹本著色親鸞上人絵伝、絹本著色證如上人像、絹本著色親鸞上人三狭間御影、絹本著色聖徳太子六臣像 |
法人番号 | 9180305000074 |
願照寺(がんしょうじ)は、愛知県岡崎市舳越町にある浄土真宗本願寺派の寺院。岡崎観光きらり百選に選定されている。
概要
[編集]親鸞の弟子、専信房専海の開基と伝えられている。専信房の保持した「安城御影」(親鸞83歳の姿を描いたとされる絵画)は当山8代の了正の時に本願寺に収められ、現在は国宝として西本願寺に所蔵されている[1]。
中世後期には本願寺派三河七か寺の一つで、小針城主阿部氏の帰依があった。一向一揆の後追放されたが、1585年(天正13年)に還住。関ヶ原の戦い後の本願寺の東西分立時は東派に属したが、のち改派した。1601年(慶長6年)に朱印地6石を受けるも正保年間に没収された。
嘉永年間(1848年~1854年)に第17代住職の結城専修は名古屋から楽士を招いて、舳越村内の檀家有志に雅楽を習わせた。これが今も活動が続いている雅楽団体「長瀬樂人会」の始まりとされる[2]。
以下の物件が市の文化財に指定されている。現在はいずれも岡崎市美術博物館に所蔵されている[3]。
指定名称 | 種別 | 時代 | 指定年月日 |
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絹本著色親鸞上人絵伝 | 絵画 | 室町末期 | 1961年(昭和36年)3月30日 |
絹本著色證如上人像 | 絵画 | 室町時代 | 1961年(昭和36年)3月30日 |
絹本著色親鸞上人三狭間御影 | 絵画 | 1518年(永正15年) | 1961年(昭和36年)3月30日 |
絹本著色聖徳太子六臣像 | 絵画 | 鎌倉末から室町初期 | 1997年(平成9年)1月31日 |
交通手段
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、132頁。
- 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、126頁。