顕性寺 (新宿区)
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顕性寺 | |
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所在地 | 東京都新宿区須賀町13-5 |
位置 | 北緯35度41分03.2秒 東経139度43分15.2秒 / 北緯35.684222度 東経139.720889度座標: 北緯35度41分03.2秒 東経139度43分15.2秒 / 北緯35.684222度 東経139.720889度 |
山号 | 金剛山 |
院号 | 蓮華院 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
創建年 | 慶長16年(1611年) |
開山 | 法印賢秀 |
札所等 | 御府内八十八ヶ所霊場44番札所 |
法人番号 | 9011105000561 |
顕性寺(けんしょうじ)は、東京都新宿区にある真言宗豊山派の寺院。
歴史
[編集]1611年(慶長16年)、法印賢秀によって開山された。元々は牛込門外に位置していたが、江戸城拡張工事のため、1634年(寛永11年)に現在地に移転している[1]。
1725年(享保10年)に火災に遭い、文政年間(1818年~1831年)に至っても、まだ仮堂のままなど、寺運衰微の時期が長く続いた。そのため著名人の墓は特にない[1]。
俎大師
[編集]当寺の寺宝に「俎大師(まないただいし)」がある。これは弘法大師空海が土佐国高岡郡に巡錫した際、家に泊めてくれたお礼として、まな板に「南無阿弥陀仏」の文字を彫ったものという。その後幕末に至り、空海が泊まった家の末裔が大坂に移住し、続いて江戸改め東京に移住した。しかし生活苦に陥り、例のまな板を抵当として料亭「鳥八十」から5両を借りた。そして、そのまま鳥八十の所有となった。この鳥八十の主の娘が、後に落語家の五代目古今亭今輔の母となる女性である。1934年(昭和9年)、弘法大師千百年遠忌に際し、古今亭今輔の母は、この俎大師を当寺に寄進した[1]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 新宿区立図書館 編『四谷南寺町界隈(新宿区立図書館資料室紀要5)』新宿区立図書館、1971年