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須田孝太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


須田 孝太郎 (すだ こうたろう、1888年1月16日1936年6月28日 )は、日本の実業家[1]

小林多喜二の小説でもある「蟹工船」の創業者。露領水産組合評議員、雲城会幹事、小浜港湾修築期成同盟会評議員。

略歴

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明治21年(1888年)1月16日、小浜市太興寺に生まれる。小浜市立松永小学校をへて明治36年 – 旧制小浜中学校中退。旧制成城中学校卒業。

大正5年 – カムチャッカで紅サケ缶詰工場経営。昭和2年 – 大同漁業を設立、専務取締役、社長を歴任。

昭和7年 – 日魯漁業と合同、重役となる。昭和10年 – 日露漁業協会理事長。

逸話

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  • 旧制小浜中学校の第8回生として入学したが、2年生の折、同級生と一緒に授業をサボタージュし、首謀者として退学処分を受けた。その後、上京し、旧制成城中学校を卒業したのであるが、東京では、丁度その頃、浜中を卒業してきた松見松太郎明治食品社長)、内藤益治郎(川越商業学校長)と3人で同じ家に下宿していた。

脚注

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  1. ^ 須田 孝太郎 | デジタルアーカイブ福井”. www.library-archives.pref.fukui.lg.jp. 2023年4月6日閲覧。

参考文献

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  • 雲城
  • 蟹工船
  • 日本大百科事典