須田孝太郎
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須田 孝太郎 (すだ こうたろう、1888年1月16日 – 1936年6月28日 )は、日本の実業家[1]。
小林多喜二の小説でもある「蟹工船」の創業者。露領水産組合評議員、雲城会幹事、小浜港湾修築期成同盟会評議員。
略歴
[編集]明治21年(1888年)1月16日、小浜市太興寺に生まれる。小浜市立松永小学校をへて明治36年 – 旧制小浜中学校中退。旧制成城中学校卒業。
大正5年 – カムチャッカで紅サケ缶詰工場経営。昭和2年 – 大同漁業を設立、専務取締役、社長を歴任。
昭和7年 – 日魯漁業と合同、重役となる。昭和10年 – 日露漁業協会理事長。
逸話
[編集]- 旧制小浜中学校の第8回生として入学したが、2年生の折、同級生と一緒に授業をサボタージュし、首謀者として退学処分を受けた。その後、上京し、旧制成城中学校を卒業したのであるが、東京では、丁度その頃、浜中を卒業してきた松見松太郎(明治食品社長)、内藤益治郎(川越商業学校長)と3人で同じ家に下宿していた。
脚注
[編集]- ^ “須田 孝太郎 | デジタルアーカイブ福井”. www.library-archives.pref.fukui.lg.jp. 2023年4月6日閲覧。
参考文献
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- 雲城
- 蟹工船
- 日本大百科事典