須永武義
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須永 武義(すなが たけよし、1855年10月2日(安政2年8月22日[1][2][3]) - 1925年(大正14年)10月28日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲二等功三級[4]。
経歴
[編集]武蔵国幡羅郡飯塚村(埼玉県幡羅郡太田村、大里郡太田村、妻沼町を経て現熊谷市)出身[1]。士族・須永宗司の長男[1][2]。陸軍兵学寮に入り、1877年(明治10年)4月、陸軍歩兵少尉に任じ、参謀本部第2局員[2]、近衛歩兵第2連隊長、陸軍教導団長、第9師団参謀長を経て、1899年(明治32年)8月、大佐に進んだ[5]。この間、日清戦争に従軍した[1]。日露戦争が勃発すると西島助義に代わり、1904年(明治37年)9月、陸軍少将に進級と同時に歩兵第7旅団長に補され、遼陽会戦から参戦[3]。奉天会戦を経て台湾守備混成第1旅団長に転出し、歩兵第22旅団長、歩兵第36旅団長、憲兵司令官を経て、1912年(明治45年)2月、陸軍中将に進級と同時に予備役に編入した[3]。晩年は東京府豊多摩郡中野町(東京市中野区を経て現東京都中野区)に住んだ[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1895年(明治28年) - 功四級金鵄勲章
- 功三級金鵄勲章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。