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韓演

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韓 演(かん えん、生没年不詳)は、後漢官僚政治家は伯南。本貫潁川郡舞陽県韓縯とも書かれる[1]

経歴

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韓棱の孫にあたる。順帝のとき、丹陽太守となり、政事に有能で知られた。後に太常に転じた。155年永寿元年)6月[2]司空となった。157年(永寿3年)11月[2]司徒に転じた。159年延熹2年)8月、大将軍梁冀が自殺すると、韓演は梁冀の党与として罪に問われ、死罪のところを減刑されて、潁川郡に帰された。後に再び召し出されて司隷校尉に任じられた。

165年(延熹8年)、韓演は左悺とその兄の左称を弾劾した。さらには具瑗の兄の具恭による不正な蓄財を奏上した[3]

脚注

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  1. ^ 後漢書』韓演伝は「韓演」とするが、桓帝紀ほか「韓縯」の表記が見られる。
  2. ^ a b 『後漢書』桓帝紀
  3. ^ 『後漢書』宦者伝

伝記資料

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  • 『後漢書』巻45 列伝第35