韓淑妃
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淑妃韓氏(しゅくひ かんし、生没年不詳)は、五代十国時代の後唐の荘宗李存勗の妃嬪(元は正室)。
生涯
[編集]唐の乾寧年間に李存勗に嫁いだ。李存勗は韓氏の家族を高く礼遇した。その後、李存勗は晋王となり、韓氏は衛国夫人に封ぜられた。しかし李存勗が後唐の皇帝として即位すると、寵愛深かった側室の劉氏を皇后として立てようとした。韓氏は劉氏や伊氏など側室らと寵愛を争い、出自の高さを誇示した。劉氏は貧賤の出身のため恥じ入り、皇宮を訪ねてきた実父の劉山人を追い払った。結局、劉氏が皇后に立てられ、韓氏は腹を立てた。同光2年12月(西暦で925年)、李存勗は韓氏を淑妃(高位の妃嬪)に封じた。
明宗李嗣源が即位すると、劉皇后は賜死となり、妃嬪らは実家に帰された。淑妃韓氏は太原に居を遷した。後晋の天福元年(936年)、契丹に捕らえられて連れ去られた。