静岡市歌
「静岡市歌」(しずおかしか)は、日本の静岡県(旧)静岡市で制定されていた市歌である。以下の2曲が存在する。
一般的に「静岡市歌」と呼称されるのは2.である。
解説
[編集]静岡市歌(初代) | |
---|---|
| |
作詞 | 田辺友三郎 |
作曲 | 田村虎蔵 |
採用時期 | 1905年3月3日 |
採用終了 | 1938年10月20日(2代目市歌制定) |
言語 | 日本語 |
初代市歌
[編集]初代の「静岡市歌」は静岡師範学校附属小学校(現在の静岡大学教育学部附属静岡小学校)の主事であった田辺友三郎が日露戦争の凱旋歌として作詞し、東京音楽学校教諭の田村虎蔵が作曲したものを静岡県が附属小学校唱歌として採用し、1905年(明治38年)3月3日の県告示第69号で静岡市歌としたものである[3]。この初代市歌については、1975年(昭和50年)に刊行された静岡大学教育学部附属静岡小学校創立百周年記念誌『ふぞくひゃくねん』において歌詞と楽譜が紹介されている[4]。
初代「静岡市歌」の歌詞は以下の通りである(著作権保護期間満了)[3]。
一、
北 に聳 ゆる富士 の峯 南 に浮 くる駿河湾
郷 を飾 れる名所 は賎機山 や安倍川原 二、
古 き昔 の跡 問 えば東照公 の駿府城
豪傑山田 仁左衛門 長政 も亦 此処 の人 三、
木 の芽 香 える里人 の業 にたけたる竹細工
蒔絵塗物 名 も高 き東海要地 の静岡市 四、
自然 の景色 世々 の跡 商工業 も秀 でたる
我 が此 の郷 の光 をば尚 も進 みて輝 かせ(原文は旧字・旧仮名遣い)
2代目市歌
[編集]静岡市歌(2代目) | |
---|---|
| |
作詞 | 大川浩 |
作曲 | 信時潔 |
採用時期 | 1937年10月21日 |
採用終了 | 2003年3月31日(清水市との新設合併) |
言語 | 日本語 |
試聴 | |
1937年(昭和12年)、尾崎元次郎市長は「市民の愛郷精神
2003年(平成15年)、静岡市は清水市と新設合併し新制「静岡市」となった。この際に合併協議会の申し合わせで両市が完全に対等な立場で合併したことを強調するため旧静岡市の市章および市旗、そして「静岡市歌」は廃止されその役割を終えた。なお、現在も静岡市民文化会館の中ホール舞台の緞帳には芹沢銈介が制作した2代目市歌の歌詞をデザインした作品が使われており[8]、同会館の公演開始告知時には2代目市歌がアレンジされたメロディーのチャイムが流れる。
現在の静岡市歌は2005年(平成17年)に制定された「わたしの街 静岡」である。
備考
[編集]合併前の旧静岡市に関連する楽曲としては、イメージソングとして「しあわせしずおか」があった。1989年(平成元年)が静岡市制100周年にあたることから、記念の歌として歌詞・曲を公募。798編の応募作品の中からグランプリとなった詞に風戸慎介が曲を付け[9]、1986年(昭和61年)10月30日に発表された[10]。唄は根本美鶴代(MIE)。この楽曲はカセットテープで限定販売された。B面曲は「ドラマティック・サンシャイン」。同公募で佳作となった詞・曲(共に応募者作)[9]に同じくMIEが歌っている。
参考文献
[編集]- 静岡市役所 編『静岡市史』第4巻(1931年) NCID BN04676652
- 静岡市文書課 編『静岡市史年表』(1960年) NDLJP:2991026
- 静岡市役所 編『静岡市史 近代』(1969年) NCID BN06234258
- 静岡大学教育学部附属静岡小学校創立百年行事実行委員会『ふぞくひゃくねん』(1975年) NCID BN07471747
出典
[編集]- ^ 官報、明治38年(1905年)2月25日付, p805「学事採用認可」。
- ^ 静岡市史年表, p115では作詞が「静岡市選歌」、作曲が「東京音楽学校」とされている。
- ^ a b 市史(1931)第4巻 pp 703-704
- ^ ふぞくひゃくねん pp 225-229
- ^ 広報しずおかNo.307(昭和43年6月15日号)3ページ「静岡市百年史」(46)静岡市歌
- ^ 静岡市114年の歩み「静岡人」(2003)83ページ 4章:静岡市114年の歴史
- ^ 市史(1969)近代 pp 793-799
- ^ “芹沢作品、間近に 静岡で見学ツアー”. 静岡新聞 (2015年12月24日). 2015年12月28日閲覧。
- ^ a b イメージソング「しあわせしずおか」カセットテープ添付歌詞カード
- ^ 広報しずおかNo.749(昭和61年11月15日号)表紙
関連項目
[編集]- 我らの港 - 旧清水市歌。