青柳豊
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青栁 豊 あおやぎ ゆたか | |
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生誕 |
1917年(大正6年) 福岡県三池郡高田村(現みやま市高田町) |
死没 | 1942年(昭和17年)6月23日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
最終階級 | 陸軍中尉 |
青栁 豊(あおやぎ ゆたか、1917年(大正6年) - 1942年(昭和17年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉。
経歴
[編集]日本陸軍のエース・パイロット。青栁惣吉(村会議員)の次男として福岡県三池郡高田村(現みやま市高田町)に生まれる。
少年飛行兵として1935年(昭和10年)11月に所沢陸軍飛行学校を卒業し、明野で戦技教育を受け、飛行第11連隊に配属された。
1939年(昭和14年)5月からノモンハン事件に参加。7月25日、不時着した篠原弘道准尉を救出しようと着陸したが、敵戦車の砲撃を受けて機体が炎上、腰に貫通銃創を受けるが、岩瀬孝一曹長に救出された。そしてハルピン陸軍病院に入院したが、停戦前に部隊に復帰。
1940年(昭和15年)末、陸軍航空士官学校に入学し、1941年(昭和16年)7月に卒業、飛行第11戦隊に復帰し、12月から南方戦線で任務に就いた。
1942年(昭和17年)4月、教導飛行第204戦隊に転属。6月23日、戦技訓練中に誤射を受けて殉職した。総撃墜数28機。
親族
[編集]- 父 青栁惣吉(村会議員)
- 兄 青栁進(村会議員)
参考文献
[編集]- 伊沢保穂編、航空情報編集部編『日本陸軍戦闘機隊―付・エース列伝』1973年。
- 入江徳郎著『ホロンバイルの荒鷲―ノモンハン千四百機撃墜記』1941年。
- 皇輝会本部 編『陸の荒鷲殊勲甲. 前篇』皇輝会、1941年 。
外部リンク
[編集]- 奇跡の二重救出劇~渾身の戦友愛(篠原弘道准尉 戦闘機パイロットデータベース)
- 国境大空中戦 -五十八機撃墜・篠原准尉の血戦手記 大阪朝日新聞 1939.8.28-1939.9.3(昭和14), データ作成:2015.3 神戸大学附属図書館
- 【すごい日本人】ホロンバイルの荒鷲と恐れられた帝国陸軍のエース篠原弘道!快進撃と奇跡的な救出劇
- 日本陸軍戦闘機乗り最強のエースパイロット『篠原弘道』世界的にも例がないほどの撃墜記録保持者 《日本の火力》