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青柳四郎

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青柳四郎

青柳 四郎(あおやぎ しろう、安政4年8月4日[1]1857年9月21日) - 大正10年(1921年3月8日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、弁護士

経歴

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豊前国小倉城下(現在の福岡県北九州市小倉北区)に、小倉藩士鎌田思誠の四男として生まれ、青柳彦蔵の養子となった[1]法律学を学んで、代言人となった。福岡県会議員に選出され、参事会員も務めた[3]

1900年(明治33年)、衆議院補欠選挙で当選。第7回衆議院議員総選挙第8回衆議院議員総選挙でも再選された。

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録』
  2. ^ 『衆議院議員略歴』
  3. ^ 『新撰衆議院議員列伝』

参考文献

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  • 『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第1版』人事興信所、1903年。 
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。