青木航空機墜落事故
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読売新聞での運用中に撮影された事故機 | |
出来事の概要 | |
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日付 | 1954年9月25日 |
概要 | 悪天候による墜落 |
現場 | 日本・福島県楢原町 |
乗客数 | 4 |
乗員数 | 2 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 6 (全員) |
生存者数 | 0 |
機種 | ビーチクラフト C18 |
運用者 | 青木航空 |
機体記号 | JA5002 |
出発地 | 羽田国際空港 |
目的地 | 丘珠空港 |
青木航空機墜落事故(あおきこうくうきついらくじこ)は、1954年9月25日もしくは9月26日未明に発生した航空事故である。墜落した機体はアジア航測がチャーターした便だった[1]。
概要
[編集]林野庁は、1954年5月に北海道支笏湖周辺で発生した風倒木被害の航空写真撮影をアジア航測に依頼。アジア航測は、青木航空のビーチクラフト C18をチャーター。1954年9月25日、丘珠空港を目指して羽田空港を出発した。当日は、洞爺丸台風が想定以上の速さで接近しており天候は急速に悪化、北海道への飛行をあきらめ羽田空港へ引き返す途中、福島県楢原町(現下郷町)結能峠付近に墜落した[2]。飛行機の捜索は航空機や巡視船を動員して行われたが見つからず、翌月10月9日、楢原町の住民により墜落した機体が発見された。青木航空のパイロット2人、アジア航測社員2人、日本林業技術協会職員1人、林野庁職員1人の乗員・乗客全員が死亡[1][3][4]。
その他
[編集]- 青木航空は、1956年に日本遊覧航空、1961年に藤田航空と社名が変わり、後に全日空に吸収合併されている。
- 飛行目的地であった支笏湖周辺は、洞爺丸台風の強風により風倒木被害が一気に拡大。壊滅的被害を受けた[5]。
脚注
[編集]- ^ a b “航空機事故を忘れてならず”. アジア航測株式会社. 2020年1月16日閲覧。
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、101頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 「乗員六人、行方不明」『朝日新聞』昭和29年9月26日夕刊3面
- ^ 「青木航空機を発見」『日本経済新聞』昭和29年10月10日11面
- ^ “北海道の針広混交林における風害後 58 年間の森林の動態” (PDF). 北海道森林管理局. 2020年1月16日閲覧。