青木康忠
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正元年(1573年)8月[1] |
官位 | 上野介[1] |
主君 | 朝倉義景[1] |
父母 | 青木景康[1] |
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青木 康忠(あおき やすただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。朝倉氏の家臣。
永禄11年(1568年)朝倉義景のもとへ移った足利義昭の警護役を務める[1]。元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦いでは朝倉義景に従い織田信長勢相手に奮闘する[1]。のち天正元年(1573年)一乗谷城の戦いで再び信長勢と戦うが討死した[1]。
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