青木孝
表示
青木 孝(あおき たかし、1863年12月21日(文久3年11月11日[1][2])- 1939年(昭和14年)3月24日[3][4])は、明治から昭和前期の漁業家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]下野国塩谷郡道下村(栃木県[3]塩谷郡玉生村[4]大字道下[5]、塩谷村を経て現塩谷町大字道下)で、古木六右衛門の三男として生まれる[2]。1877年(明治10年)に上京し[2][5]、慶應義塾、同人社、商法講習所などで学び[2][5]、1884年(明治17年)に渡米した[2][5]。その後、ヨーロッパに渡り英語、フランス語、スペイン語を修め[2][5]、1889年(明治22年)米国のパシピック大学に入学し[2][5]、1892年(明治25年)11月、同校を卒業し経済学士の学位を得て[2][3][4][5]、1893年(明治26年)3月に帰国した[2][5]。
北海道漁業調査に従事し[3][4]、青木漁猟組を設立して遠洋漁業を営んだ[2][3][4][5]。
1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(栃木県郡部、立憲政友会)で当選し[2][6]、衆議院議員に1期在任した[3][4]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(栃木県郡部、1902年8月、立憲政友会)当選[6]
- 第8回衆議院議員総選挙(栃木県郡部、1903年3月、立憲政友会)次点落選[6]
- 第9回衆議院議員総選挙(栃木県郡部、1904年3月、立憲政友会)次点落選[6]