霊泉寺 (福岡県添田町)
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霊泉寺 英彥山靈泉寺 | |
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所在地 | 福岡県田川郡添田町英彦山1240番地 |
位置 | 北緯33度29分8.6秒 東経130度54分8.3秒 / 北緯33.485722度 東経130.902306度座標: 北緯33度29分8.6秒 東経130度54分8.3秒 / 北緯33.485722度 東経130.902306度 |
山号 | 英彦山 |
宗派 | 英彦山修験道(天台宗系修験道) |
寺格 | 本山 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 伝・継体天皇25年(531年?) |
開山 | 伝・善正上人 |
中興年 | 伝・弘仁10年(819年) |
中興 | 伝・法蓮上人 |
別称 | 英彥山無量壽院靈仙寺(廃仏毀釈までの名称) |
札所等 | 九州西国霊場1番 |
法人番号 | 8290805007815 |
霊泉寺(れいせんじ)は、福岡県田川郡添田町にある、英彦山修験道の本山。山号は英彦山。九州西国三十三箇所一番札所。
概要
[編集]北魏の僧・善正上人が彦山を練行の地と定め、洞窟で修行したという[1]。これにより、英彦山修験が成立した。その後、法蓮上人が中興したという。彦山から英彦山となったのは、霊元法皇の院宣による。英彦山大権現を祀り、寺号を霊仙寺[要曖昧さ回避]、院号を無量寿院と称した。神仏分離により、英彦山神社に改称した。廃された大講堂は英彦山神社奉幣殿(重文)となっている。かつては天台修験の本山派に属していた山だが、戦後、修験者により霊泉寺として復活した。
歴史
[編集]- 継体天皇25年(531年?)善正上人は一宇を建立する。
- 弘仁10年(819年)法蓮上人は中興する。
- 元禄9年(1696年)本山派の別格本山・霊仙寺となる。
- 享保14年(1729年)霊元法皇の院宣により、英彦山と改称する。
- 明治元年(1868年)神仏分離により、英彦山神社に改称する。
脚注
[編集]- ^ 彦山縁起