電子工作の歴史
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この項では、アマチュア分野の電子工作の歴史(History of hobby electronics in Japan)について記述する。
主な年表
[編集]戦前
[編集]1920年頃、亜酸化銅整流器、セレン整流器、セレン光電池といった電子部品が実用化された[1]。
1921年、アマチュア無線家によって短波の長距離伝播の性質が発見された[1]。
1923年、無線通信の可能性を試す研究が個人により始まった。これがアマチュア無線の元祖である。
1924年の5月、 雑誌『無線と実験』(無線実験社、後に誠文堂(誠文堂新光社の前身)に吸収)が創刊された。また、9月には、雑誌『子供の科学』(子供の科学社、後に誠文堂に吸収)が創刊された。
1926年の6月、日本アマチュア無線連盟が結成された。
1930年 (昭和5年)に雑誌『科学と模型』(朝日屋)創刊され、鉱石ラジオの工作が紹介された。
1933年 (昭和8年)には雑誌『電波科学』(日本放送出版協会)創刊された。
1936年には、宮田繁太郎がメタリコンを用いたラジオ配線の特許を取得し、これがプリント配電板の始まり[1]となった。
1940年代
[編集]1941年12月8日、大日本帝国海軍がアメリカ海軍の基地である真珠湾を攻撃したことにより太平洋戦争が勃発。
正午頃、アマチュア無線禁止(逓信省官吏達がアマチュア無線家の自宅へ訪問、無線設備を封印して回った)。
1945年8月15日、大日本帝国がポツダム宣言受諾声明である玉音放送を放送し終戦を迎えた。1946年9月、『CQ ham radio』が日本アマチュア無線連盟機関誌として創刊。
1947年4月、雑誌『ラジオ技術』が科学社より創刊(なお、1954年6月からラジオ技術社、現在はアイエー出版より刊行される)。
1950年代
[編集]1951年、米国のウェスタン・エレクトリック社がトランジスタの商業生産を開始[1]。
1952年7月29日、日本でアマチュア無線が再開される。第二次大戦中から戦後にかけて無線の使用が禁止されていたが、この日再開された(アマチュア無線の日)。その後、次第にアマチュア無線が活発になり無線局数を増やした。
1953年 、『科学と模型』休刊。
1954年5月、『CQ ham radio』が日本アマチュア無線連盟からCQ出版に譲渡され月刊雑誌となる。米国のテキサス・インスツルメンツ社がシリコントランジスタを開発(世界初のトランジスタラジオ)[1]。
1955年1月、雑誌『ラジオの製作』(電波新聞社)創刊。同年、雑誌『模型とラジオ』(科学教材社)創刊。この頃、米国で実用的なシリコン太陽電池が開発される[1]。
1958年、米国のジェネラル・エレクトリック社によりシリコン制御整流器の商業生産が始まる[1]。
1959年、この頃、米国でメサ・トランジスタによる集積回路が開発された[1]。
1960年代
[編集]- 1960年代 - FMモノラル放送の本放送がはじまる。
- 1962年 - この頃迄に、抵抗器のカラーコードの語呂合わせによる記憶法が創案される[2]。
- 1963年 - FM東海、FMステレオ放送の実験を開始。
- 1964年
- 1965年
- マイキット(学習研究社、2009年より学研ホールディングス)発売開始。
- 電子ブロック(電子ブロック機器製造)発売開始。
- 『みんなの科学』(NHK教育)放映開始(同タイトルの番組としては三代目)。同番組の「たのしい実験室」で雑誌『電波科学』とも連動した電子工作を扱うことがあった。
1970年代
[編集]- 1970年代 - アマチュア無線がブームになったと記録されている。
- 1970年4月26日 - FM東海が民間放送局「エフエム東京」に。
- 1971年
- 1972年 - 学習研究社と電子ブロック機器製造が業務提携。
- 1973年頃 BCLブームにより各社より受信機、ラジカセの発売ラッシュとなる。『初歩のラジオ』等雑誌に製作記事も多く「ラジオ少年」が多く出た。
- 1974年頃 CB無線が流行するが違法局も多くTVI等により摘発が相次いだ。
- アマチュア無線への乗換組が多くなり、中学高校の無線部が相次いでできた。自作の受信機や無線機等が競って作られ、一部の中学で技術(男子のみ)にてラジオキットの製作も指導された。
- ケンクラフト(TRIO、旧春日無線で現ケンウッドのキットブランド)からSSBトランシーバーQS500等のキットが出た。
- 1975年
- 1月 - アマチュア無線家の大久保忠(JH1FCZ)が個人雑誌『THE Fancy Crazy Zippy』(原則として月刊)を創刊。ヘンテナなどの記事を掲載。
- 日本のアマチュア無線局数がアメリカを抜いて世界一になった。
- 1970年代後半
- 1976年
- 1977年
- 1978年
1980年代
[編集]- 1980年代 - パソコンの黎明時代。
- 8ビットパソコンの全盛時代となった。初期のパソコンは現在のようなアプリケーションがなく、プログラムを作ることが中心だった。マイコンの分野はハードウェアの工作からプログラムの作成へと比重が移った。
- MIDI規格の制定により、リットーミュージック社の書籍などでMIDIインターフェースの製作記事などが登場する(シンセサイザーを用いた電子音楽自体は、遡る事2年前の1978年に、イエロー・マジック・オーケストラがムーブメントを起こしていた)。
- トランジスタ技術誌によるCP/Mマイコンの製作記事及び単行本化。
- 1980年
- 1982年 - 『CQジュニア』No.8をもって休刊。
- 1980年代後半 - デジタルオーディオ関連の製作記事の登場。CDの登場にともなって規格化されたデジタルオーディオインターフェースが制定されたことから、これらを扱う製作記事がエレクトロニクスライフ誌、トランジスタ技術誌などで発表された。
- マイコンを使った電子工作キット。
- 1984年
- 5月 - 『無線と実験』が『MJ無線と実験』に改題。
- 6月 - 『模型とラジオ』休刊。
- 9月 - 『RAM』休刊。
- 1985年
- 1月 - 『初歩のラジオ』が『SR初歩のラジオ』に改題。
- 4月 - 『電波科学』が『エレクトロニクスライフ』に改題。
- 1986年 - 電子ブロックの全シリーズが生産終了。
- 1987年10月 - 雑誌『アクションバンド』(マガジンランド)創刊。
1990年代
[編集]- 1990年代 - ロボコンの開始に伴うロボット工作の一般化
- 1991年4月 - 『SR初歩のラジオ』が『SRハムガイド』に再改題。
- 1992年5月 - 『SRハムガイド』休刊。
- 1990年代後半
- パソコンの自作が活発になる。部品の規格化が進み、部品の流通も活発になったことでパソコンの自作が容易になった。CPUを限界性能まで動かすオーバークロックが流行った。
- インターネットの普及により個人がウェブサイトで電子工作のノウハウを開示し始める。サイトや後にブログなどで電子工作のノウハウを開示する例が増加し、掲示板の設置によってコミュニティが形成される。ここから発展して部品の共同購入、キットの配布などを個人ベースでおこなうケースが増加した。
- FlashROM内蔵型ワンチップマイコンの普及。H8、PIC、AVRなどのワンチップマイコンの登場により劇的に開発コストが下がったことから製作記事が増加する。
- 1995年4月 - 『月刊マイコン』休刊。
- 1996年4月 - 『エレクトロニクスライフ』が『パソコンライフ』に再改題。
- 1997年3月 - 『パソコンライフ』休刊。
- 1998年12月 - 雑誌『ロボコンマガジン』(オーム社)創刊。
- 1999年
- 4月 - 『ラジオの製作』月刊誌として終了。年3回ムック化を予定。
- 7月 - ムック『ラジオの製作SPECIAL』発行。以後続刊せず。
2000年代
[編集]- 2000年代 - 二足歩行ロボット工作の一般化。既存の旋盤、フライス盤などにサーボモーターと制御基板を追加してCNC化する試みの流行。
- 2000年5月 - 雑誌『オーディオクラフトマガジン』(誠文堂新光社)創刊。
- 2001年
- 1月 - 『THE Fancy Crazy Zippy』No.300をもって休刊。
- 『オーディオクラフトマガジン』休刊。
- 『ロッキンf』立東社倒産により休刊。
- 2002年
- 2003年4月 - ムック『大人の科学マガジン』(学習研究社)創刊。
- 2004年1月 - FCZ研究所がキット開発と販売を中止。既存キットの販売は大阪のクラブ、キャリブレーションに委託。また、ウェブマガジン『CirQ』(原則として隔月刊)創刊。
- 2005年
- 『ロッキンf』アポロ・コミュニケーションに移動。
- 10月 - 『アクションバンド』No.217をもって休刊。
- 2006年 - アポロ・コミュニケーション倒産。
- 2007年
- 2008年7月 - ムック『電子工作マガジン』(電波新聞社)創刊。内容構成は『ラジオの製作』のそれを継承。
- 2020年7月 - FCZ研究所主宰、・大久保忠が死去。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 電子工作 - 工作少年 - 電気街
- ラジオ、オーディオ
- アマチュア無線、自作 (アマチュア無線)
- ラジコン、鉄道模型、マイクロマウス、ロボット
- 自作パソコン、静音パソコン、パーソナルコンピュータ史
- 理科離れ