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雷電山古墳 (東松山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雷電山古墳
所属 三千塚古墳群
所在地 埼玉県東松山市大谷
位置 北緯36度05分13.8秒 東経139度23分17.8秒 / 北緯36.087167度 東経139.388278度 / 36.087167; 139.388278座標: 北緯36度05分13.8秒 東経139度23分17.8秒 / 北緯36.087167度 東経139.388278度 / 36.087167; 139.388278
形状 帆立貝形古墳
規模 全長85m、高さ7m、後円部径73m、前方部幅39m
出土品 埴輪
築造時期 5世紀前半
史跡 三千塚古墳群、1956年(昭和31年)2月6日市指定[1]
有形文化財 出土埴輪、2004年(平成16年)3月26日市指定[1]
特記事項 1976年(昭和51年)10月1日「埼玉県選定重要遺跡」選定[2]
地図
雷電山古墳の位置(埼玉県内)
雷電山古墳
雷電山古墳
埼玉県内の位置
地図
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雷電山古墳(らいでんやまこふん)は、埼玉県東松山市三千塚古墳群内にある帆立貝形古墳である。埴輪を持つ埼玉県最古の古墳。

概要

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大谷の丘陵上、標高90メートルの雷電山山頂に築造された。後円部の最上段のみ盛り土がされ、それ以外の部分は地山を削り出して造成されている。墳丘の形状は奈良・乙女山古墳に類似する。1984年(昭和59年)の調査で、墳丘は三段構成であること、前方部頂部に葺石が施されていること、四重の埴輪列が巡ることが明らかになった。埼玉県で最も古い埴輪の出土例である。後円部墳頂にも方形の埴輪列が確認されており、その中心に埋葬施設が存在すると思われる。主体部は粘土槨か木棺直葬と見られている。

古墳群は1956年(昭和31年)に「三千塚古墳群」として市の史跡に指定され、出土した埴輪も2004年(平成16年)に市の有形文化財(考古資料)に指定されている。

増田一郎は、突如現れる埼玉古墳群の故地を比企の地に比定しており、雷電山古墳は乎獲居臣の祖父である半弖比の墓であるとした[3]

出土品

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円筒埴輪
埼玉県立歴史と民俗の博物館展示。

朝顔形埴輪円筒埴輪、器台形埴輪が確認された。これらの埴輪は、一般に知られているそれとは別物ともいえる特異なものである。いずれも表面の調整にハケメ工具が用いられておらず、これは形状が特異なばかりでなく、埴輪というよりむしろ土師器に近い技術で作られているといえる。野焼き製作を示す黒斑が認められることから5世紀前半の製作と推定されている。これらの埴輪は、現在埼玉県立歴史と民俗の博物館に展示されている。

脚注

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  1. ^ a b 文化財一覧”. 東松山市 (2021年7月2日). 2021年11月29日閲覧。
  2. ^ 県選定重要遺跡”. 埼玉県 (2021年10月18日). 2021年11月29日閲覧。
  3. ^ 中村倉司「埼玉丸慕山古墳と大里甲山古墳 ー武蔵国造家内紛と大型円墳一[1]

参考文献

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  • 塩野博『埼玉の古墳 比企・秩父』 pp.67-75、さきたま出版会、2004年 

関連項目

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外部リンク

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