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雲麓宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雲麓宮
雲麓宮
各種表記
繁体字 雲麓宮
簡体字 云麓宫
拼音 Yúnlù Gōng
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雲麓宮(うんろくきゅう)は、中華人民共和国湖南省長沙市岳麓山にある道観道教寺院)である[1]。道教二十三洞真虚福地の一。

歴史

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香炉

明代成化十四年(1478年)吉簡王朱見浚により創建された。当時は洞真観と称した。嘉靖(1522年-1566年)年間、知府孫復と道士李可経は道観を再建した。隆慶(1567年-1572年)に再建された際、関聖殿(前殿)、玄武祖師殿(中殿)、三清殿(後殿)の建立にあたっては、従来通り復元することが求められた。明末、清兵入関の火難で、道観は両度焼き捨てられた。

清代康熙元年(1662年)、長沙分巡道張睿は道観を再建した。乾隆年間(1736年-1795年)は道観を重修した。咸豊二年(1852年)、道観は戦災で壊された。道光(1821年-1850年)年間、望湘亭が修築されている。同治元年(1862年)、望江亭、五岳殿、天妃殿、宮門を増築した。翌年、武当山太和宮道士の向教輝が資金を募り、全面修復した。

『麓峯鞏峙碑』。

民国三十三年(1944年)、日中戦争の時、雲麓宮は日本軍戦闘機で爆破された[2]。民国三十五年(1946年)、道士鄔雲開と呉明海が資金を募り全面重建し、翌年に落成した。純陽真人呂洞賓石像を増築した。『百字銘』を撰した。

1957年、地元政府は雲麓宮を修復する。文化大革命の初め、神像、法器は徹底的な破壊に遭い、道士はしかたなく還俗した。1976年、関帝殿を修復。

文化財

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  • 漢白玉『麓山樹鐙記碑』
  • 『麓峯鞏峙碑』

脚注

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座標: 北緯28度11分00秒 東経112度56分24秒 / 北緯28.18342度 東経112.939938度 / 28.18342; 112.939938