雪印スノーピア
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種類 | 株式会社 |
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設立 | 1973年3月1日 |
業種 | 小売業 |
スノーピアは、東京都千代田区麹町の第一麹町ビルに本社を置く、雪印スノーピア株式会社がかつて運営していたファストフードチェーン[1]。
概要
[編集]1972年3月に雪印乳業と協和醗酵工業が業務提携し、1973年3月1日より両社の共同出資により雪印スノーピア株式会社が設立された[2]。雪印のアイスクリーム技術と協和食品の製パン技術を合わせ、フランチャイズ方式のファストフードチェーン、スノーピアを運営していた[3]。1973年5月から雪印が以前から運営していた川口店(イトーヨーカドー内に出店)、相模原店を買収しスノーピアに改装した。また、実験店1号店として大塚店を開店した[4]。
基本形態は、20坪前後で16種類のアイスクリームやドーナツ、ハンバーガー、焼きそばなどのファストフード、ジュース類を販売していた。外装は、白とピンクを基本とした全店舗で統一したデザインだった[4]。
1975年に共同出資していた協和発酵工業が撤退し、社名を協雪商事に変更した。その後、雪印乳業単独で雪印スノーピア(2代目)を設立し、協雪商事から営業権を引き継いだ[5]。
1984年からジェラテリアネーベ・ビアンカというイタリアンアイスクリーム専門店を展開開始し、1号店を同年10月に新宿ミロードに開店した。同店は乳脂肪分を抑える代わりに果汁を多く使ったジェラートを中心に販売した[6]。2号店として1987年7月に神奈川県川崎市のミス・チネチッタビル内に開店した[7]。
なお2023年時点で既に全店舗が閉店し、企業も消滅している。
沿革
[編集]- 1973年3月 - 雪印乳業と協和発酵工業の共同出資で雪印スノーピア株式会社(1代目)が設立された[2]。
- 1975年 - 協和発酵が事業から撤退し、雪印スノーピア(1代目)を協雪商事に社名変更[5]。
- 1975年 - 雪印乳業が営業権を引き継ぎ、雪印スノーピア(2代目)を全額出資で設立[5]。
- 1983年 - スノーピアはこの時点で約2000店舗運営していた[8]。
- 1984年10月 - イタリアンアイスクリーム(ジェラート)専門店のネーベ・ブランカの1号店を新宿ミロード内に出店[6]。
出典
[編集]- ^ 酪農事情社『酪農事情』酪農事情社、1973年4月、93頁 。2023年10月15日閲覧。
- ^ a b 『缶詰時報』(52-3-578版)日本缶詰びん詰レトルト食品協会、1973年3月、7頁 。2023年10月15日閲覧。
- ^ 『缶詰時報』日本缶詰びん詰レトルト食品協会、1973年4月、59頁 。2023年10月15日閲覧。
- ^ a b 経営政策研究所『経営コンサルタント』経営政策研究所、1973年5月、134頁 。2023年10月15日閲覧。
- ^ a b c 「協和醗酵、雪印と共同のファーストフード事業から撤退。」『日経産業新聞』1975年6月17日。
- ^ a b 「アイスクリーム店展開、雪印、「イタリアン」感覚で。」『日本経済新聞』1984年8月21日、朝刊 11ページ。
- ^ 「雪印スノーピア、イタリア風アイス展開――核店舗作りFC募る。」『日経流通新聞』1987年6月9日。
- ^ 「雪印乳業、外食部門強化の一環として58年度から雪印スノーピアを高級化路線に転換。」『日経産業新聞』1983年3月21日。