難波王
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(難波麻呂古王から転送)
難波王(なにわ の おおきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。位階は浄広肆。
経歴
[編集]『上宮記』逸文(『聖徳太子平氏伝雑勘文』所引)・『本朝皇胤紹運録』によると、山背大兄王の子に「難波王」(『上宮聖徳法王帝説』では「難波麻呂古王」)がおり、同一人物ではないか、とも言われている。
『日本書紀』巻第二十九によると、天武天皇14年(683年)9月に、天皇は宮処王、広瀬王、難波王、竹田王、弥努王を京と畿内に遣わして、人夫の兵(武器)を校閲させた[1]。これは前年の閏4月に、「来年の9月に必ず閲せむ。因りて百寮の進止(ふるまい)・威儀(よそおい)を教へよ」という詔を出し[2]、それを実施したものである。その数日後、天武天皇は大安殿で王卿らとともに博戯(双六などの賭け事)をして遊んだが、このメンバーの中に難波王がおり、宮処王・竹田王・三国真人友足・県犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行 ・境部宿禰石積・多朝臣品治 ・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋とともに、天皇から御衣袴(おおみそおおみはかま=お召し物と袴)を与えられている[3]。
『書紀』巻第三十によると、持統天皇6年(692年)5月、天皇の命により、藤原宮の地鎮祭を行っている[4]。この時の位階が浄広肆である。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本書紀』(五)、岩波文庫、1995年
- 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『日本の名著2 聖徳太子』責任編集:中村元、中央公論社、1970年
- 『日本古代氏族人名辞典』p470、坂本太郎・平野邦雄監修、吉川弘文館、1990年