難波江通泰
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難波江通泰 | |
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学生時代の肖像写真 | |
誕生 |
1926年11月18日 愛媛県西条市 |
死没 |
2007年6月20日 奈良 |
職業 | 学者、教育者 |
ジャンル | 支那文学(漢文)、支那哲学、古文、歴史学 |
ウィキポータル 文学 |
難波江 通泰(なばえ みちやす、大正15年11月18日(1926年11月18日) - 平成19年(2007年)6月20日)は、日本の文学、歴史、哲学の学者。愛媛県出身。愛媛大学卒。小・中・高校の教諭を歴任。福岡県立戸畑高等学校、三重県伊勢市の皇學館高等学校、皇學館中学校(中高一貫6年制)教諭を経た後、国士舘大学武徳研究所助教授。専門は王陽明、支那文学(漢文)、支那哲学。
王陽明全集の中で非常に難解とされ、誰にも訳されることの無かった王陽明全集 第五巻「公移」を詳細な注釈つきで現代語訳(明徳出版社、1985年5月)。
作品一覧
[編集]主な刊行著作
[編集]- 『王陽明全集 第五巻「公移」』(明徳出版社、1985年5月)
- 巻十六~十八。陽明の最晩年、寧王宸濠の乱や思田の賊を治めた際の公用文一五〇篇。一刻を争う戦陣の中で、民生に心を砕き、進退を誤らなかった陽明の実践の中で示された知行合一の真骨頂。390頁・索引
共著
[編集]単著
[編集]- 陰陽五行の説と易の思想について
- 敵側の資料より見たる大東亜戦争の真相
- アメリカが先に攻撃した-真珠湾攻撃一時間二十分前-
論文
[編集]- 今上陛下践祚六十年に際し延元元年を想ふ
- 布哇王国皇帝の明治天皇との御密談について-大東亜共栄圏の首唱-
- 戦後教育批判序説-教育使節団報告書と占領政策を中心に-
- ウヱスト博士の想い出 日本国憲法をアメリカ人はどうみているか
論説
[編集]- 王陽明と文天祥
その他
[編集]- 嘉靖七年正月二十七日の王陽明への歸順投降者数について -七萬一千名か、一萬七千名か-
- 禮樂舊章ニ率由シテ改メズ 北朝「周《の古代「周《王朝憧憬と庾信について
系譜
[編集]人物像
[編集]趣味
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関連項目、その他
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