難波吉士赤目子
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時代 | 古墳時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 日本府行軍元帥 |
主君 | 雄略天皇 |
氏族 | 難波吉士氏 |
難波吉士赤目子(なにわの きし あかめこ、生没年不詳)は、古墳時代の5世紀後半の豪族。姓は吉士。
記録
[編集]→詳細は「膳斑鳩」を参照
『日本書紀』巻第十四によると、雄略天皇8年(西暦464年)、高句麗が新羅を侵略したため、新羅王は任那(加羅)の王のもとに使いを遣わし、救援を(大和政権に)求めた。任那王が援軍として推薦した将軍(日本府行軍元帥)は、膳臣斑鳩(かしわで の おみ いかるが)、吉備臣小梨(きびの おみ おなし)、そして難波吉士赤目子(なにわの きし あかめこ)であった[1]。
脚注
[編集]- ^ 『日本書紀』、雄略天皇8年2月条