陸奥ノ花亮一
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陸奥ノ花 亮一(むつのはな りょういち、1919年11月27日[1] - 1987年1月27日[2])は、昭和時代の大相撲力士。湊川部屋所属。本名は立花 亮一(たちばな りょういち、のち、中村姓[2])。青森県上北郡野辺地町出身[1]。最高位は十両13枚目格。得意技は右四つ、押し。
経歴
[編集]湊川部屋に入門し、1936年1月場所に本名の「立花」で初土俵を踏む[1]。1944年5月場所に十両に昇進、5勝5敗の5分の成績だった[1]が、場所後に応召される[2]。1945年6月場所に十両13枚目格で復帰したが、3勝4敗と負け越し幕下に陥落[2]。それ以降は負け越し続きで十両に復帰することなく、1947年6月場所に27歳で廃業した[2]。
廃業後は埼玉県草加市の呉服店の婿養子となり、「中村」と改姓した[2]。1987年死去[2]。
主な成績
[編集]- 通算成績:70勝72敗 勝率.493
- 十両成績:8勝9敗 勝率.471
- 現役在位:22場所
- 十両在位:3場所
場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | 秋場所 | ||||
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1936年 (昭和11年) |
(前相撲) | (番付外) | x | |||
1937年 (昭和12年) |
(前相撲) | 東序ノ口11枚目 2–5 |
x | |||
1938年 (昭和13年) |
東序二段38枚目 4–3 |
東三段目50枚目 3–4 |
x | |||
1939年 (昭和14年) |
西三段目46枚目 5–2 |
東三段目4枚目 3–5 |
x | |||
1940年 (昭和15年) |
西三段目13枚目 4–4 |
東三段目7枚目 5–3 |
x | |||
1941年 (昭和16年) |
西幕下35枚目 5–3 |
東幕下19枚目 1–7 |
x | |||
1942年 (昭和17年) |
西三段目3枚目 6–2 |
西幕下18枚目 4–4 |
x | |||
1943年 (昭和18年) |
東幕下14枚目 5–3 |
西幕下8枚目 4–4 |
x | |||
1944年 (昭和19年) |
西幕下7枚目 5–3 |
東十両14枚目 5–5 |
東十両 – |
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1945年 (昭和20年) |
x | 東十両 3–4 |
西幕下2枚目 2–3 |
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1946年 (昭和21年) |
x | 国技館修理 のため中止 |
東幕下6枚目 2–5 |
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1947年 (昭和22年) |
x | 西幕下19枚目 引退 2–3–0 |
x | |||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 立花 亮一(たちばな りょういち)1936年1月場所 - 1937年5月場所
- 陸奥ノ花 亮一(むつのはな りょういち)1938年1月場所 - 1947年6月場所
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 奈月ひかる『あおもり力士よもやま話』第3巻、北の街社、2014年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 陸奥ノ花 亮一 - 相撲レファレンス