陳豫
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陳 豫(ちん よ、生年不詳 - 1463年)は、明代の官僚・軍人。字は立卿。本貫は廬州府合肥県。
生涯
[編集]陳瑄の孫にあたる。1437年(正統2年)、平江伯の爵位を嗣いだ。1448年(正統12年)、神機営右哨を管轄した[1]。1448年(正統13年)、福建沙県で鄧茂七の乱が起こると、陳豫は右副総兵として寧陽侯陳懋に従い、反乱を鎮圧した。1449年(正統14年)、前軍都督府を管掌し、平江侯の爵位に進んだ[2]。オイラトのエセン・ハーンが侵攻してくると、陳豫は臨清に駐屯し、城堡を建て、兵士の訓練と民衆の安撫につとめ、平静を保った。1450年(景泰元年)、北京に召還されたが、臨清の父老が宮殿を訪れて留任を請願したため、陳豫は臨清に留まることとなった。1454年(景泰5年)、山東で飢饉が起こると、陳豫は景泰帝の命を受けて振恤にあたった。ほどなく南京の守備についた。1457年(天順元年)、北京に召還され、歳禄100石を加増された。1463年(天順7年)9月、死去した[3]。黟国公の位を追贈された。諡は荘敏といった。
子の陳鋭が後を嗣いだ。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『明史』巻153 列伝第41