陳玉銘 (汪兆銘政権)
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陳玉銘 | |
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『最新支那要人伝』(1941年) | |
プロフィール | |
出生: | 1893年(清光緒19年)[1] |
死去: | 不詳 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区奉天府承徳県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 陳玉銘 |
簡体字: | 陈玉铭 |
拼音: | Chén Yùmíng |
ラテン字: | Ch'en Yü-ming |
和名表記: | ちん ぎょくめい |
発音転記: | チェン ユーミン |
陳 玉銘(ちん ぎょくめい)は中華民国の政治家。北京政府、奉天派の政治家で、後に蒙古聯合自治政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で要職をつとめた。
事績
[編集]1917年(民国6年)、奉天専門学校法科を卒業。以後、警察・検察分野を主に歴任し、奉天省柳河県県長などをつとめる。
1937年(民国26年)9月、陳玉銘は于品卿とともに察南自治政府を組織し、于は最高委員、陳は総務処処長兼民政庁庁長となる。1939年(民国28年)9月、蒙古聯合自治政府が成立すると、察南政庁長官に任ぜられた。翌年3月、南京国民政府(汪兆銘政権)の成立とともに、中央政治委員会委員となる。1943年(民国32年)8月、察南政庁が宣化省に改組されると、参議会参議に異動した。
日本敗北後の消息は不明である。
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。