陳曶
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陳 曶(ちん こつ、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀漢の将軍。
事績
[編集]章武2年12月(223年1月頃)、蜀漢の皇帝である劉備が危篤に陥った状況下で、漢嘉太守の黄元が反乱を起こした[1]。
章武3年(223年)3月[1]には、黄元は臨邛県を攻撃し、その城を焼き払った。益州治中従事の楊洪は、皇太子の劉禅に対し、黄元の討伐を要請。許可を得た陳曶と鄭綽が親衛隊を率いて出撃し、黄元を撃ち破った。その後も楊洪の言に従い、南安峡の入口を遮断。呉への逃走を図る黄元を捕虜とした[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 先主伝 s:zh:三國志/卷32
- ^ 『三国志』蜀書 楊洪伝 s:zh:三國志/卷41#楊洪