陳昌鉉
陳昌鉉 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 진창현 |
漢字: | 陳昌鉉 |
発音: | チン・チャンヒョン |
日本語読み: | ちん・しょうげん[1] |
ローマ字: | Jin Chang Heryern [1][2] |
陳 昌鉉(ちん ちゃんひょん、1929年[1][2] - 2012年5月13日[1])は、在日韓国人のヴァイオリン製作者。アメリカヴァイオリン製作者協会 (The Violin Society of America) より「無鑑査ヴァイオリン製作家」の称号を授与され、「東洋のストラディバリ」とも称される[1]。本貫は広東陳氏。
生涯
[編集]日本統治下の朝鮮南部、慶尚北道金泉郡(現・金泉市)出身[1]。14歳で来日して福岡県で夜間中学を卒業。その後、明治大学英文科を卒業したが、英語教師への道は韓国籍のためかなわなかった。失意の中で聴いた糸川英夫の講演で「名器ストラディバリウスの再現は不可能」という言葉に触れ、以後ヴァイオリン製作を志したという[1]。
1957年、有数の弦楽器生産地であった長野県木曽福島町(現・木曽町)に移り、肉体労働をしながらヴァイオリン製作を独学する[1][3]。1961年、篠崎弘嗣(桐朋学園教授)との出会いにより、本格的なヴァイオリン製作者への道を歩むこととなり[1]、東京都調布市に工房をひらいた。
1976年、製作したヴァイオリンがアメリカの「アメリカ国際ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ製作者コンクール」において6部門中5部門で金賞を受賞し、一躍名職人として知られる。1984年に、アメリカヴァイオリン製作者協会より「無鑑査製作家」(Hors Concours)の認定と「マスターメーカー」(Master Maker)の称号を授与されている。
2002年、口述筆記による自叙伝『海峡を渡るバイオリン』(河出書房新社)を刊行。この半生記は、2003年に山本おさむ『天上の弦』として漫画化され、2004年にはテレビドラマ化された。また、三友社出版の高校英語教科書に収録された。
青年時代を過ごした木曽福島町の芸術文化振興事業にも寄与し、2005年10月23日に木曽福島町より木曽福島町名誉町民章を授与された(2005年11月1日より木曽町が発足し、木曽町名誉町民となった)[1][3]。2008年には大韓民国政府より国民勲章無窮花章を授けられている[2][4]。
2012年5月13日、調布市の自宅にて没(82歳)[1]。
参考文献
[編集]- 朝日新聞 2012年6月23日
- 陳昌鉉(語り)、鬼塚忠(聞き書き)、岡山徹(同)『海峡を渡るバイオリン』河出書房新社、2002年9月30日。ISBN 4-309-01494-1。