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チャン・ドゥック・ルオン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳徳良から転送)
チャン・ドゥック・ルオン
Trần Đức Lương
陳德良


任期 1997年9月24日2006年6月27日
国家副主席 グエン・ティ・ビン
チュオン・ミー・ホア英語版
共産党書記長 ドー・ムオイ
レ・カ・フュー
ノン・ドゥック・マイン
首相 ヴォー・ヴァン・キエット
ファン・ヴァン・カイ

任期 1992年10月8日1997年9月29日
国家主席 レ・ドゥック・アイン
チャン・ドゥック・ルオン
(兼務)
首相 ヴォー・ヴァン・キエット

任期 1987年2月16日1992年10月8日
国家評議会議長

→国家主席
チュオン・チン
ヴォー・チ・コン
レ・ドゥック・アイン
閣僚評議会議長 ファム・ヴァン・ドン
ファム・フン
ドー・ムオイ
ヴォー・ヴァン・キエット

出生 (1937-05-05) 1937年5月5日(87歳)
保大12年3月25日
フランス領インドシナ連邦の旗 フランス領インドシナ
大南 広義省
政党 ベトナム共産党の旗 ベトナム共産党
署名
チャン・ドゥック・ルオン
各種表記
チュ・クオック・グー Trần Đức Lương
漢字チュノム 陳德良(陳徳良)
日本語読み: ちん とくりょう
英語表記: TRAN Duc Luong
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チャン・ドゥック・ルオン陳 徳良ベトナム語Trần Đức Lương / 陳德良[1]1937年5月5日保大12年3月25日〉 - )は、ベトナム政治家。第3代ベトナム社会主義共和国主席を務めた。

経歴

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ベトナム中南沿海地方のクアンガイ省に生まれる。学校を卒業した後、1955年ハノイに移り住んだ。地質学を学んだルオンは、卒業後、地図製作者としての職を得て、地質総局に勤務した。1959年9月、第20地質団第4地質泰隊長に就任。同年12月29日、ベトナム労働党(後のベトナム共産党)に入党した。1970年代に党の職員となる。1979年9月、地質総局長および総局党委員会委員長に任命される。1982年3月、ベトナム共産党第5回党大会において中央委員候補となる。同年12月には国家科学技術委員会副委員長となり、1984年には委員長に昇格。

1986年12月、第6回党大会において中央委員に選出。1987年2月、副首相に就任。1996年7月、第8回党大会において政治局員に選出される。1997年7月、第10期国会議員に選出。9月24日、国家主席に就任。同年12月の第8期党中央委員会第4回総会で政治局常務委員に昇格。

2001年4月、第9回党大会で政治局常務委員会が廃止され、政治局員にのみ再選、党内序列第2位となる。2002年5月、第11期国会議員に選出。7月、国家主席に再選される。

ルオンは国家主席在任中、法秩序の維持と犯罪の撲滅に対して厳格な姿勢で臨んだ。2004年5月7日、ベトナムの「裏社会」の頭目ナム・カム(本名チュオン・ヴァン・カム, Trương Văn Cam, 張文甘)の死刑判決に対する恩赦願を却下し、6月3日には刑を執行している。

2006年4月に開催された第9回党大会で政治局員を退任。同年6月27日、任期を1年残して国家主席を辞任し、政界から引退した。

脚注

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  1. ^ 中国新闻网 (2005年7月24日). “越南主席陈德良:学习汉语 让年轻一代了解历史”. news.sina.com.cn. 2022年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月19日閲覧。 “临行前,陈德良挥毫为广西民族学院题词。落款处是工工整整、漂亮的“陈德良”三个汉字。”

参考文献

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  • 坂村哲雄『ベトナム指導者一覧 2001』ビスタ ピー・エス、2001年


先代
レ・ドゥック・アイン
ベトナム社会主義共和国主席
1997年 - 2006年
次代
グエン・ミン・チエット