チュオン・タン・サン
チュオン・タン・サン Trương Tấn Sang 張晋創 | |
任期 | 2011年7月25日 – 2016年4月2日 |
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国家副主席 | グエン・ティ・ゾアン |
共産党書記長 | グエン・フー・チョン |
首相 | グエン・タン・ズン |
任期 | 2011年7月25日 – 2016年4月2日 |
副議長 | グエン・タン・ズン |
任期 | 2011年9月19日 – 2016年8月13日 |
出生 | 1949年1月21日(75歳) フランス領インドシナ ベトナム国 ロンアン省ドゥクホア県ミーハン村 |
政党 | ベトナム労働党 (1969年 - 1976年) ベトナム共産党 (1976年 - ) |
受賞 | |
出身校 | 国立行政アカデミー |
配偶者 | マイ・ティ・ハン |
子女 | 2人 |
宗教 | 無神論 |
チュオン・タン・サン | |
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各種表記 | |
チュ・クオック・グー: | Trương Tấn Sang |
漢字・チュノム: | 張晋創 |
北部発音: | チュオン・タン・サン |
日本語読み: | ちょう しんそう |
英語表記: | TRUONG Tan Sang |
チュオン・タン・サン(張 晋創、ベトナム語:Trương Tấn Sang / 張晋創、1949年1月21日 - )は、ベトナムの政治家。第5代ベトナム社会主義共和国主席、ベトナム共産党政治局員兼書記局員を務め、党内序列は第2位[1]であった。第9期、第10期、第11期、第12期国会議員。法学士。
経歴
[編集]南ベトナムのロンアン省ドゥックホア県ミーハン村に生まれる。ベトナム共和国の支配に反して学生運動に参加し、1969年12月20日、ベトナム労働党(後の共産党)に入党。1975年のサイゴン陥落後は労働組合工作に従事した。
1991年6月、第7回党大会において党中央委員に選出。同年、ホーチミン市人民委員会(市政府)委員長に任命された。
1996年、ホーチミン市党委員会書記に就任する。この直後の第8回党大会において党政治局員に選出され、党内序列第14位となる。この時、サンおよびグエン・タン・ズンは40歳代の若さで政治局入りしたことで注目された[2]。2000年1月6日、党経済委員会委員長に就任したが、政治局の人事は通常、5年に1度の党大会に合わせて行われるため異例のことであった[3]。
2001年4月、第9回党大会において政治局員に再選され、序列10位に昇格。2003年1月の第9期党中央委員会第7回総会第2部において、ホーチミン市を拠点とした暴力団組織「ナム・カム一味」に関連し、同市党委書記時代の管理責任を問われ譴責処分を受けた[4]。
2006年4月、第10回党大会において政治局員および書記局員に選出され、序列第5位となる。同年5月5日の党政治局決定に基づき、党務を取り仕切る書記局常務に就任した[5]。
2011年1月、第11回党大会において政治局員に再選され、序列2位に昇格。同年2月、党政治局決定 (No.01-QDNS/TW) に基づき、書記局員に再任された[6]。7月25日、国会で行われた投票で、97.4%の賛成により国家主席に選出された。
日本の政財界に古くから知己も多く、知日派としても知られる[7]。2011年6月に外務省賓客として訪日した際には、3ヶ月前に東日本大震災で津波被害を受けた千葉県旭市へ慰問した[8][9]。
2016年1月の第12回党大会において党中央委員の候補から外され、引退することが確定[10]。3月31日の第13期国会第11回会議において辞任案が承認され、4月2日のチャン・ダイ・クアン新主席の選出をもって辞任した[11][12]。
年譜
[編集]主な経歴
[編集]- 1973年 - 1975年:党中央統一委員会において勤務
- 1975年 - 1978年:新経済区建設委員会副委員長、ホーチミン市農場・新経済区団党委員会書記
- 1979年 - 1986年:ホーチミン市農場局長、同市林業局長、同市党委員会委員候補を経て党委員会委員
- 1986年 - 1991年:ホーチミン市農業局長を務めたのち同市党委常務委員
- 1991年 - 1992年:ホーチミン市党委常任副書記
- 1991年:党中央委員(第7回党大会)
- 1992年:ホーチミン市人民委員会副委員長、人民委員長代行
- 1992年:国会議員当選(第9期。ホーチミン市選出)
- 1993年:ホーチミン市人民委員長
- 1996年:ホーチミン市党委書記,政治局員(第8回党大会)
- 1997年:国会議員再選(第10期。ホーチミン市選出)
- 2000年:党中央経済委員長
- 2001年4月:政治局員再任(第9回党大会)
- 2002年5月:国会議員再選(第11期。ホーチミン市選出)
- 2006年4月:政治局員再任、書記局員(第10回党大会)
- 2006年6月:書記局常務委員
- 2011年1月:政治局員再任、書記局員(第11回党大会)
- 2011年7月:第13期第1回国会において国家主席に就任
- 2016年4月:第13期第11回国会において国家主席を退任
訪日歴
[編集]- 1993年9月:外務省オピニオン・リーダー招聘
- 1995年5月:日経「アジアの未来」シンポジウムに出席
- 2000年:日本共産党大会出席
- 2011年6月:外務省賓客として訪日
- 2014年3月16日 - 19日:国賓として訪日[13]
脚注
[編集]- ^ 寺本実「第11回ベトナム共産党大会—継続性を堅持しつつ、潮流への適応を模索」アジア経済研究所、2011年3月(2011年7月30日閲覧)。
- ^ 白石(1999年)、83ページ
- ^ レ・カ・フュー指導部による権力基盤強化のための幹部人事の一環とされる。牛山(2004年)、185ページ
- ^ 寺本・坂田(2003年)、200ページ
- ^ 坪井(2008年)、119ページ
- ^ “11th CPVCC Secretariat members named” (English). The Communist Party of Vietnam Online Newspaper. (2011年2月10日) 2011年2月11日閲覧。
- ^ “知日派サン氏を選出 ベトナムの新国家主席”. 産経新聞. (2011年7月25日) 2011年7月26日閲覧。
- ^ 外務省 (2011年5月27日). “チュオン・タン・サン・ベトナム共産党書記局常務の訪日” 2014年3月18日閲覧。
- ^ “皇居で宮中晩餐会 ベトナム国家主席夫妻を歓迎”. 朝日新聞. (2014年3月17日) 2014年3月18日閲覧。
- ^ 「次期党中央執行委員200人選出、ズン首相とサン国家主席は引退へ」 『VIETJOニュース』 2016年1月27日
- ^ VNA (2016年3月31日). “Parliament approves Truong Tan Sang’s relief of Presidency”. VietnamPlus (Vietnam News Agency) 2016年4月2日閲覧。
- ^ VNA (2016年4月2日). “Tran Dai Quang voted in as State President”. VietnamPlus (Vietnam News Agency) 2016年4月2日閲覧。
- ^ 外務省 (2014年2月18日). “サン・ベトナム社会主義共和国主席の来日” 2014年3月18日閲覧。
- ^ 岩嶋悟「ベトナム国家主席来県 農業関連施設視察 技術者交換派遣で覚書」毎日新聞2014年3月17日付朝刊、茨城版28ページ
- ^ 「ベトナム主席が来県 農業分野協力で県と覚書」読売新聞2014年3月17日付朝刊、茨城東 33ページ
参考文献
[編集]- 白石昌也「第8回党大会から第8期4中総にかけての主要人事」白石昌也、竹内郁雄(編)『ベトナムのドイモイの新展開』アジア経済研究所、1999年 ISBN 9784258044948
- 寺本実「第9回共産党大会と政治・行政」石田暁恵編『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス—新たな課題への挑戦—』〈トピックリポートNo.46〉アジア経済研究所、2002年3月
- 寺本実・坂田正三「国際経済への本格参加に向け,新政府発足 ― 2002年のベトナム」『アジア動向年報 2003』アジア経済研究所、2003年 ISBN 9784258010035
- 牛山隆一「第九回党大会前の権力闘争と対外政策」白石昌也(編著)『ベトナムの対外政策 ― 21世紀の挑戦』暁印書館、2004年 ISBN 9784870151512
- 坪井善明『ヴェトナム新時代 ― 「豊かさ」への模索』岩波新書、2008年 ISBN 9784004311454
外部リンク
[編集]- チュオン・タン・サン/国会議員略歴(ホーチミン市選出国会議員ウェブサイト)
- チュオン・タン・サン ベトナム国家主席略歴 - 外務省