降矢芳郎
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降矢 芳郎(ふるや よしろう、明治3年4月2日(1870年5月2日) - 昭和12年(1937年)10月11日)は、日本の電気工学者。工学博士(1907年)。旧姓は増田。
人物
[編集]信濃国小県郡泉田村(現長野県上田市)生まれ。明治27年(1894年)旧制第一高等中学校卒業、東京帝国大学電気工学科に進学し、明治31年(1898年)卒業。明治36年(1903年)から3年間文部省留学生として欧米に派遣され、スイスのチューリッヒ大学のウェーバー教授主宰の電気研究所で約1年間蓄電池に関する研究を行った。
明治39年(1906年)帰国し京都帝国大学理工科の臨時講師を務め、明治40年(1907年)新設の仙台高等工業学校教授となり、電気工学科長として創立事務を兼務する。明治44年(1911年)新設の九州帝国大学教授に転じ、電気工学主任として創立事務を兼務。一方、大正12年(1923年)同志と共に福岡市に九州電気工学校の設立を計画し、理事長兼代表者として創立の任に当たったが、大正14年(1925年)九州帝大工学部長に就任のため辞任した。また大正8年(1919年)官命により電気工業視察のため北米・中米を巡遊し、大正12年(1923年)には南満州・華北の電気事業を視察した。
参考文献
[編集]- 「日本人名大辞典」講談社 2001年
- 「20世紀日本人名事典」 日外アソシエーツ 2004年