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アルホルチン旗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿魯科爾沁旗から転送)
中華人民共和国 内モンゴル自治区
阿魯科爾沁旗
通遼市ジャルート旗との旗境付近の草原風景
通遼市ジャルート旗との旗境付近の草原風景
通遼市ジャルート旗との旗境付近の草原風景
簡体字 阿鲁科尔沁
繁体字 阿魯科爾沁
拼音 Ālŭkē'ĕrqìn
カタカナ転写 アールーカーアールチン
モンゴル文字 ᠠᠷᠤ
ᠬᠣᠷᠴᠢᠨ
ᠬᠣᠰᠢᠭᠤ
モンゴル語キリル文字 Арукорчин
モンゴル語ローマ字転写 Ar Horqin qosiɣu
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
自治区 内モンゴル
地級市 赤峰市
行政級別
面積
総面積 14,227 km²
人口
総人口(2002) 29.6 万人
経済
電話番号 0476
郵便番号 025550
行政区画代碼 150421
公式ウェブサイト http://www.kerqin.gov.cn/

アルホルチン旗(アルホルチンき、モンゴル語ᠠᠷᠤ
ᠬᠣᠷᠴᠢᠨ
ᠬᠣᠰᠢᠭᠤ
 転写:Aru Qorčin qosiɣu)は中華人民共和国内モンゴル自治区赤峰市に位置する。地方政府はチャバグ・バルガス(天山鎮)にある。

語源

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「アル」はモンゴル語で「山陰」を意味し、アルホルチンの元となった部族がハンガイ山英語版の北側で遊牧生活を営んでいたことに由来する[1][2]

歴史

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アルホルチン旗は、上京臨潢府大定府の北辺に相当する[2]代には遼王の分封地とされた。

旗の起源となったアルホルチン部族は、チンギス・カンの弟ジョチ・カサルを祖とする。

ジョチ・カサルの15世孫であるバグンノヤン(巴袞諾顔)は、1425年ごろにオイラート部族の攻撃を避けてフルンボイルに移住し、バグンノヤンの長子コンドリンダイチンは自らが率いる部衆をアルホルチン(阿魯科爾沁)と号した[1]

17世紀初頭にアルホルチンは後金(後の)に帰順し、との戦争に協力する。1634年にアルホルチン地域に前後両旗が設置された、1636年に両旗が合併してアルホルチン旗が成立した。アルホルチン旗は、建国期の功績によって清の皇室から厚遇を受けた[1]。アルホルチン旗のジャサク(首長)である歴代のドロイ・ベイレ(多羅貝勒)は、旗に相当する地域を遊牧地としていた[2]

1634年当時の地域の戸数は4,000であったが、清末に漢人の農民の移住が活発になる[1]

1913年の内モンゴル解放戦争の後、内モンゴル自治区に編入される。1969年に遼寧省に編入されたが、1979年に内モンゴル自治区に再編入された。

行政区画

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2ジュール・ゴドムジ(街道)、7バルガス(鎮)、4ソム(蘇木)、3郷を管轄

  • 街道弁事処
    • ハン・ウラ・ジュール・ゴドムジ(罕烏拉街道)
    • オウ・ムレン・ジュール・ゴドムジ(欧沐淪街道)
  • バルガス(
    • チャバグ・バルガス(天山鎮)
    • 天山口鎮
    • 双勝鎮
    • フント・バルガス(坤都鎮)
    • バエンフア・バルガス(巴彦花鎮)
    • ショー・バルガス(紹根鎮)
    • ジャガスタエ・バルガス(扎嘎斯台鎮)
  • ソム(蘇木)
    • ハン・ソム(罕蘇木)
    • サエハンタル・ソム(賽漢塔拉蘇木)
    • バルチルド・ソム(巴拉奇如徳蘇木)
    • バエンウンドゥル・ソム(巴彦温都爾蘇木)
  • :新民郷、先峰郷、オラーンハダ郷(烏蘭哈達郷)

脚注

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  1. ^ a b c d 田山「アルホルチン」『アジア歴史事典』1巻、120頁
  2. ^ a b c 『精選中国地名辞典』、6頁

参考文献

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  • 田山茂「アルホルチン」『アジア歴史事典』1巻収録(平凡社, 1959年)
  • 『精選中国地名辞典』(塩英哲編訳, 凌雲出版, 1983年3月)

関連項目

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外部リンク

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