阿部為任
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あべ ためとう 阿部 為任 | |
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生誕 |
若 弘化2年4月9日(1845年5月14日) 江戸 |
死没 |
明治26年(1893年)11月12日 東京府本所区表町 |
墓地 | 梅林寺 |
住居 | 麹町十二丁目、本所松倉町二丁目、中ノ郷原庭町 |
国籍 | 日本 |
別名 | 通称:友之進、号:春庵、米象、碧海[1]、将翁書軒[2] |
職業 | 開成所物産学世話心得 |
子供 | 阿部一三 |
親 | 阿部櫟斎、報恩院赤心禅照大姉 |
親戚 | 祖父:阿部賢任 |
阿部 為任(あべ ためとう、弘化2年4月9日(1844年5月14日) - 明治26年(1893年)11月12日)は幕末、明治の博物学者、教材編集者。父は本草学者阿部櫟斎。
概要
[編集]弘化2年(1845年)4月9日生[3]。慶応2年(1866年)2月、パリ万国博覧会に動植物標本を出品するための開成所虫捕御用に物産学世話心得として加わり、父阿部櫟斎、田中芳男、鶴田清次に従い伊豆国、相模国、駿河国を廻村した[4]。
慶応2年(1866年)櫟斎著『絵入英語箋階梯』の校訂に関わり、自らも5月『挿訳 英吉利文典』、8月『英学捷径 七ツ以呂波』を出版した[2]。『英学捷径 七ツ以呂波』は英語初学者に広く受容され、明治4年(1871年)8月橋爪貫一による増訂版『英学捷径 九体伊呂波』、明治18年(1885年)4月翻刻版が出たほか、『仏学捷径 七ツ以呂波』等他国語の教科書にも影響を与えた[5]。
維新後は英語、植物学等の教科書、字引、往来物等を編集した。明治26年(1893年)11月12日本所表町62番地で死去し、梅林寺に葬られた[6]。法名は自明院異涛碧海居士[6]。
著書
[編集]親族
[編集]- 祖父:阿部賢任
- 父:阿部櫟斎
- 母:報恩院赤心禅照大姉 – 嘉永元年(1848年)6月24日神田薬師新道で没。岡崎佐多斎宮実母[37]。
- 子:阿部一三[38]
- 孫:阿部士郎 - 荒川区東尾久に住む[38]。
脚注
[編集]- ^ 平野 2002, p. 2.
- ^ a b c 平野 2002, pp. 45–46.
- ^ 平野 2002, p. 29.
- ^ 樋口 2014, p. 323,330.
- ^ 関場 1992, pp. 8–9.
- ^ a b c 平野 2002, p. 51.
- ^ [1] - 早稲田大学図書館古典籍総合データベース
- ^ [2] - 早稲田大学図書館古典籍総合データベース
- ^ NDLJP:832467NDLJP:832468NDLJP:832469
- ^ NDLJP:801594
- ^ NDLJP:811699NDLJP:811700
- ^ 平野 2002, p. 49.
- ^ NDLJP:865752
- ^ NDLJP:785921
- ^ NDLJP:780416
- ^ NDLJP:863479
- ^ NDLJP:864281
- ^ NDLJP:865751
- ^ NDLJP:762529NDLJP:762530NDLJP:762531NDLJP:762532
- ^ NDLJP:863135
- ^ NDLJP:770557
- ^ NDLJP:764205
- ^ NDLJP:780638
- ^ NDLJP:785922
- ^ NDLJP:863146
- ^ NDLJP:867657
- ^ NDLJP:839274NDLJP:839275
- ^ NDLJP:770551
- ^ NDLJP:837656
- ^ NDLJP:765093
- ^ 関場 2006, p. 23.
- ^ NDLJP:870050
- ^ NDLJP:869765
- ^ NDLJP:869913
- ^ NDLJP:870045
- ^ NDLJP:777873
- ^ 平野 2002, p. 30.
- ^ a b 中田 1975, p. 16.
参考文献
[編集]- 関場武「「日耳曼字十躰いろは」「獨逸捷徑七以呂波」 : 「七ツいろは」の流れ」『藝文研究』第60巻、慶應義塾大学藝文学会、1992年3月。
- 関場武「「四書字引」とその周辺」『藝文研究』第91巻第1号、慶應義塾大学藝文学会、2006年12月。
- 中田吉信「本草家 阿部照任とその著作」『参考書誌研究』第11号、国立国会図書館、1975年6月。
- 樋口雄彦「幕臣博物学者鶴田清次とその資料」『国立歴史民俗博物館研究報告』第183号、国立歴史民俗博物館、2014年3月。
- 平野満「幕末の本草学者阿部喜任(櫟斎)の年譜」『参考書誌研究』第56号、国立国会図書館、2002年3月。