阿部市郎兵衛
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阿部市郎兵衛(あべ いちろべえ)家は近江国能登川の近江商人[1]、屋号は『紅屋』。江戸時代後期、麻布問屋として『能登川の阿部』家は、『五個荘の山中』家と『高宮の堤』家と共に、『近江三福』の一つと言われた。また、阿部家は本家と分家が乗合店として出店(共同経営)しており、明治維新期も阿部一族として乗合事業を展開した。本家・分家が乗合で事業を展開することは近江商人としては珍しく、これが故に他の近江商人家と異なり、一族それぞれが経済界に重きを置くことができた。
阿部市郎兵衛家
[編集]- 阿部奥右衛門:阿部市郎兵衛家の家祖とする。
- 阿部市郎兵衛 (4代)専祐:江戸時代中期の人。3代市郎兵衛の子。娘に養子を迎え阿部市太郎家を建てた。
- 阿部市郎兵衛 (5代)常省:(明和4年(1767年)-天保6年3月(1835年4月)、4代市郎兵衛の子)麻布商を営み、紅染め業を始め「紅市」の名を広める。享和の頃には利子をとり3-6ヵ月間の延べ売り(掛け売り)販売を始め、利子収入も加わり富をえる。
- 阿部市郎兵衛 (6代)浄廉:(寛政8年(1796年)-安政5年1月(1858年2月、5代市郎兵衛の子)麻布・海産物なども扱い、北海道、奥羽に販路を広げ豪商となる。
- 阿部市郎兵衛 (7代)蓮永:(天保8年(1837年)-明治37年(1904年)、2代市太郎の長男・6代市郎兵衛の養子)金巾製織(現在の東洋紡績の前身のひとつ)、近江銀行等の創業者の一人。
- 阿部市郎兵衛 (8代)浄幸:(生年不詳-明治35年(1902年)、2代市三郎の長男・7代市郎兵衛の養子)
- 阿部シゲ:市郎兵衛家9代目当主。
一族
[編集]- 阿部市太郎家:4代市郎兵衛の娘婿。
- 阿部市太郎 (2代):阿部市郎兵衛 (5代)の子。
- 阿部市太郎 (3代):2代市太郎の次男(7代市郎兵衛の弟)。金巾製織創業者の一人。
- 阿部房次郎:3代市太郎の娘すゑ子の入婿。東洋紡績社長、江商(後の兼松江商(現兼松))創業者の一人。
- 阿部市次郎:5代市郎兵衛の子。
- 阿部彦太郎:市次郎の長男。阿部彦将軍と呼ばれた。
- 阿部市三郎:5代市郎兵衛の子。
- 阿部市三郎 (2代):2代市太郎の子(7代市郎兵衛の弟)。
- 阿部利兵衛:5代市郎兵衛の子。
脚注
[編集]- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 44頁。
参考文献
[編集]- 『財界物故傑物伝上巻』、野依秀市、実業之世界社、1936年
- 伝田功「近江銀行設立前後 江州商人との関係について」『研究紀要』第26巻、滋賀大学経済学部附属史料館、1993年3月、1-43頁、CRID 1390573407643730944、doi:10.24484/sitereports.119358-59865、ISSN 0286-6579。
- 阿部市郎兵衛(5代) kotobank 日本人名大辞典
- 阿部市郎兵衛(6代) kotobank 日本人名大辞典
- 『近江商人列伝』 P225「紅屋 阿部市郎兵衛」の項、江南良三著、サンライズ印刷出版部、1989年