阿部利雄
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阿部 利雄(あべ としお、1890年 - 1990年)は、日本の経営学者・地方公務員。専門は人事労務管理論。学校法人北海道産業学園初代理事長。北海道の山鼻屯田(現札幌市中央区)生まれ[1]。
来歴
[編集]- 1909年 北海中学校(現在の北海高等学校)卒業
- 1917年 第二高等学校 (旧制)卒業
- 1920年 東京帝国大学経済学部卒業。
- 1920年 住友合資会社に入社。
- 1924年 ドイツ・ベルリン商科大学留学(ベルリンホッホシューレ修了)
- 1929年 住友合資会社を退社
- 1929年 倉敷労働科学研究所研究員
- 1939年 大阪府地方技師就任
- 1948年 北海中学校事務長。学校法人北海学園評議員
- 1949年 北海学院創設。事務局長、教授(労務管理論及び労働法)
- 1950年 北海短期大学経済科教授(人的資源管理)[2]
- 1959年 北海道学芸大学教授(労務管理論)
- 1963年 北海道学芸大学停年退官。引き続き同教育学部教授として嘱託採用
- 1964年 学校法人北海道産業学園創立。初代理事長
- 1965年 北海道産業専門学校創立。初代学校長
- 1966年 北海道産業短期大学創設 初代学長に就任
- 1973年 北海道産業専門学校学校長退任。
- 1974年 学園紛争[3]が起き、責任をとって理事長・学長を辞任。北海道産業短期大学名誉学園長[4]
- 1978年 成徳ビジネス専門学校招聘講師(~1980年)
主要著書
[編集]- 『若き露西亜』(三省堂、1928年)
- 『女子労務の職業学的研究』(銀行信託社、1943年)
- 『職業指導と職塲配置の手引』(銀行信託社、1943年)
- 『屯田兵の子 : 明治は生きている』(北海教育評論社、1968年)
- 岡山市職業紹介所に於ける少年職業相談の結果に就て、昭和九年五月、月刊「職業紹介」第七号
- 岡山市職業紹介所に於ける少年職業相談の結果に就て、昭和九年六月、月刊「職業紹介」第八号
- 徒弟制度を論じて就労青少年の補導に及ぶ、月刊「職業紹介」第三巻第十二号、昭和十年十二月
- 遊芸巡業者の資質に関る調査報告(一)、月刊「職業紹介」、第四巻第九号、昭和十一年九月
- 遊芸巡業者の資質に関る調査報告(二)、月刊「職業紹介」、第四巻第十号、昭和十一年十月
- 小学校卒業児童の就職状況調査報告 其の一 岡山県、月刊「職業紹介」、第四巻第十二号、昭和十一年十二月
- 小学校卒業児童の就職状況調査報告 其の二 香川県、月刊「職業紹介」、第五巻第二号、昭和十二年二月
- 小学校卒業児童の就職状況調査報告 其の三・島根県、月刊「職業紹介」、第五巻第六号、昭和十二年六月
- 就職希望実現率の算定方に就て、月刊「職業紹介」、第五巻第七号、昭和十二年七月
- (前編)熟練工の意義並に之が養成に関する諸問題、月刊「職業紹介」、第五巻第十号、昭和十二年十月
- (後編)熟練工の社会保有量に就て、月刊「職業紹介」、第五巻第十号、昭和十二年十月
- 商工徒弟実務試験実施に関する提唱、月刊「職業紹介」、第六巻第三号、昭和十三年三月
- 女子労務の職業学的研究〈阿部利雄、昭和18〉/学術図書出版 大空社 【近代女性文献資料叢書シリーズ】
- 職業より觀たる死亡原因の統計的研究/ 阿部利雄著. - 倉敷:1936
- 女子労務の職業学的研究, 阿部利雄
- 『鐘紡製糸 ... 紡績労働の理論と実際』,阿部 利雄;
- 中小企業の若年者就業状態と労働組合等の取り組み(上),『大原社会問題研究所雑誌』543号、2004年2月号
- 転換期に立つ職業指導、阿部利雄、東北.北海道地区職業研究協議会、昭和33年度
脚注
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