阿部元壽
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阿部 元壽 (元寿)(あべ もとひさ、1874年 - 1939年)は、明治・大正・昭和期の滋賀県の実業家。
来歴
[編集]1874年(明治7年)、廃藩置県後の滋賀県大津で元膳所藩10代筆頭家老戸田資慶の長男に生まれる。 阿部周吉の長女はつと結婚。養子となり家督を継ぐ。関西加工綿工業株式会社の社長となる。1939年(昭和14年)65歳で死去。
親族
[編集]- 祖父に膳所藩9代筆頭家老戸田資富、住吉大社第75代宮司・男爵津守国盛。大叔父に幕末の勤王志士、川瀬太宰。
- 大叔母好子(芳子)は権掌待若菜内待と称せられ、明治天皇に仕えた。
- 曾祖父に侯爵久我通久(幕末に活躍の公家、明治には貴族院議員や東京府知事を歴任)、伯爵清閑寺盛房ら。
- 妹あいは上田家に嫁ぎ、その孫上田佳代子は細川護熙(第79代内閣総理大臣)に嫁ぐ。
- 長男俊吉は東洋綿花(三井物産発祥で豊田通商前身)役員、次男は泰次郎、長女文子は田中岩吉(東京商船大学名誉教授)に嫁ぐ。次女年子は田中文吉(東京帝国大学卒業後日立製作所で冷房装置の開発に携わる)に嫁ぐ。
- 三男周蔵は二代伊藤忠兵衛に誘われ、伊藤忠上海支店代表、四男良平は大同特殊鋼役員のち山陽特殊製鋼役員。三女豊(とよ)は富永正俊(京都帝国大学卒業後、岐阜大学工学部教授を経て、名城大学教授。航空写真測量の草分け的存在として知られる)に嫁ぐ。
参考文献
[編集]- 戸田家系図
- 大阪時事新報1923年1月21日付記事
- 大阪毎日新聞 人物伝記 関東関西の財閥鳥瞰1~157 1923年2月27日~9月2日付記事(24)関西に雄飛する江州系
- 伝田功「近江銀行設立前後 江州商人との関係について」『研究紀要』第26巻、滋賀大学経済学部附属史料館、1993年3月、1-43頁、CRID 1390573407643730944、doi:10.24484/sitereports.119358-59865、ISSN 0286-6579。
- 近江商人研究談義、1924年、「近江と人」所収[リンク切れ]