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阿蘇品氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿蘇品氏(あそしなし)は、日本国の阿蘇大宮司族

人物

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  • 阿蘇品六郎入道 : 建武元年(1334年)、阿蘇品郷を本貫地とする(『宇治惟時充行状写』、建武元年)。大宮司家に出仕した最初の人物。
  • 阿蘇品惟定 : 別名、北坂梨惟定。父は、六道入道。阿蘇惟時に従い、新田義貞の指揮の下で、箱根・竹ノ下の戦いに参加[1]。上島惟頼もこの戦いに参加していた。1341年、北坂梨惟定申状案を残している。また、阿蘇郡の大花・片俣の代官に任じられ、片俣村は恩給地として与えられている[2]
  • 阿蘇品下野守宗氏 : 応永30年(1423年)5月26日、北坂梨惟照連署起請文に署名し、阿蘇惟郷への忠誠を誓う[3]。本貫地は阿蘇一の宮町宮地北部の三野となっている。なお、三野には岩下増童経家や岩下三郎経勝などの岩下家も居たことが分かっている[3]
  • 阿蘇品保夫 : 熊本県文化財保護審議会会長[4]
  • 阿蘇品照美 : 陸上競技選手。
  • 阿蘇品蔵:青志社代表取締役社長

犬子ひょうたん

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大宮神社境内に鎮座する八坂神社の例祭「犬子ひょうたん」は、阿蘇品家が、八坂神社を、江戸中期、京都八坂神社より勧請され、その後、山鹿に遷宮されたときに神事として伝えられている。

脚注

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  1. ^ 『阿蘇品惟定申状案(阿蘇家文書80号)』阿蘇家、1330年代。 
  2. ^ 荒木栄司『肥後古城物語』熊本日日新聞社〈熊日選書 10〉、1982年5月、[要ページ番号]頁。全国書誌番号:82047987 
  3. ^ a b 柳田快明『中世の阿蘇社と阿蘇氏 謎多き大宮司一族』戎光祥社出版〈戎光祥選書ソレイユ〉、2019年3月、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-86403-312-1 
  4. ^ 大塚和香子「阿蘇品保夫著『阿蘇社と大宮司--中世の阿蘇』 (合同書評『一の宮町史』)」『熊本史学』第80号、2002年12月、109-118頁、NAID 40005715002