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阿知須共立病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿知須共立病院
情報
正式名称 医療法人協愛会 阿知須共立病院
英語名称 Ajisu Kyoritsu Hospital
前身 三好医院
三好病院
標榜診療科 内科、消化器内科(胃腸内科)、循環器内科、内視鏡内科、腎臓内科、糖尿病内科(代謝内科)、内分泌内科、呼吸器内科、外科、消化器外科(胃腸外科)、乳腺外科、血管外科、呼吸器外科、整形外科、脳神経外科、放射線科、リハビリテーション科
許可病床数 135床
一般病床:45床
療養病床:90床
機能評価 慢性期病院(20~199床)(主たる機能)、一般病院1(副機能):3rdG:Ver.1.1
開設者 医療機関協愛会
管理者 三好 正規(理事長兼病院長)
開設年月日 1958年昭和33年)11月1日
所在地
754-1277
山口県山口市阿知須4171番地1
位置 北緯34度0分31秒 東経131度21分29.8秒 / 北緯34.00861度 東経131.358278度 / 34.00861; 131.358278
二次医療圏 山口・防府
PJ 医療機関
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阿知須共立病院(あじすきょうりつびょういん)は、山口県山口市阿知須(旧・阿知須町)にある病院医療法人協愛会が運営を行っている。

沿革

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(この節の出典[1]

  • 1770年明和7年) - 初代三好玄良が、で医術を習得し、以後毛利藩筆頭家老宍戸家典医として医業に従事する。この間、萩より山口市佐山に転居。
  • 1870年明治3年) - 五代三好文治が山口市佐山より阿知須に転居、佐山・阿知須両地区で医療を行い、六代三好正一も引き続き両地区にて医療を行う。
  • 1950年昭和25年)12月 - 七代目に当たる現理事長三好正之(のちの阿知須町長)が現在地に三好医院を開業。
  • 1957年(昭和32年)12月 - 三好医院から三好病院に改称。
  • 1958年(昭和33年)11月1日 - 三好病院を廃止し、医療法人協愛会阿知須共立病院として新たに開業(三好正之が理事長、院長を兼任。診療科目は内科、外科、産婦人科、放射線科。病床数22床。)。
  • 1987年(昭和62年) - 病床数が185床となる。
  • 1988年(昭和63年)4月 - 人間ドック事業を開始。
  • 1991年平成3年)1月 - 老人保健施設ニューライフあじすを開設(45床)。老健施設への病床転換により、病院は135床となる。
  • 1994年(平成6年)3月 - 老人保健施設ニューライフあじすを80床に増床。
  • 1998年(平成10年)6月 - 訪問看護ステーションすこやかナースを開設。
  • 2000年(平成12年)4月 - 介護保険制度の開始に伴い、通所リハビリテーション、介護支援事業所を設置。
  • 2004年(平成16年)8月 - 電子カルテシステム稼動。
  • 2010年(平成22年)7月 - 透析センター開設。
  • 2015年(平成27年)2月 - 新病院グランドオープン。

診療科

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(この節の出典[2]

診察・受付時間

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医療機関の指定・認定

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(下表の出典[2]

保険医療機関 労災保険指定医療機関
指定自立支援医療機関(更生医療) 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関
生活保護法指定医療機関 特定疾患治療研究事業委託医療機関
結核指定医療機関 在宅療養支援病院
難病の患者に対する医療等に関する法律に基づく指定医療機関 原子爆弾被害者一般疾病医療取扱医療機関

交通アクセス

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脚注

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出典

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  1. ^ 沿革”. 阿知須共立病院. 2021年1月5日閲覧。
  2. ^ a b やまぐち医療情報ネット”. 山口県. 2021年1月5日閲覧。
  3. ^ 救急告示病院 【平成30年9月18日現在:65病院】”. 山口県 医療政策課. 2021年1月5日閲覧。
  4. ^ 山口県肝疾患専門医療機関”. 山口県 健康増進課. 2021年1月5日閲覧。
  5. ^ 病院評価結果の情報提供”. 公益財団法人日本医療機能評価機構. 2021年1月5日閲覧。
  6. ^ a b c d 交通アクセス”. 阿知須共立病院. 2021年1月5日閲覧。

外部リンク

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