阿曽沼慎司
阿曽沼 慎司 あそぬま しんじ | |
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生年月日 | 1951年3月5日(73歳)[1] |
出生地 | 日本・広島県[1] |
出身校 | 京都大学[1] |
在任期間 | 2010年7月30日[2] - 2012年9月10日[3] |
在任期間 | 2009年7月24日[2] - 2010年7月30日 |
厚生労働省社会・援護局長 | |
在任期間 | 2008年7月11日[2] - 2009年7月24日 |
厚生労働省老健局長 | |
在任期間 | 2006年9月1日[2] - 2008年7月11日 |
在任期間 | 2005年8月26日[2][4] - 2006年9月1日 |
その他の職歴 | |
厚生労働省医薬食品局長 (2003年8月29日[2] - 2005年8月26日) |
阿曽沼 慎司(あそぬま しんじ、1951年〈昭和26年〉3月5日[1] - )は、日本の厚生・厚生労働官僚。
来歴
[編集]広島県出身[1]。広島学院高等学校を経て[5]、1974年(昭和49年)3月、京都大学経済学部を卒業[1]。
京都大学在学中、大学院に進学して研究者になる道を考えていたが、下宿先の仲間6人のうち5人が医学部の学生であったことから、自身も患者の立場に立った医療行政に携わりたいと思い立ち、厚生省への入省を志望[6]。1973年(昭和48年)8月、国家公務員採用上級甲種試験(経済)に合格[1]。翌1974年(昭和49年)4月、厚生省に入省し、厚生省大臣官房人事課に配属[1]。
厚生省大臣官房総務課広報室長、同老人保健福祉部老人福祉課シルバーサービス指導官、同政策課企画官、年金局年金課長、薬務局経済課長、健康政策局経済課長、同総務課長、厚生労働省大臣官房会計課長、同審議官(医薬保険・医政担当)などを歴任[1]。途中、徳島県庁や社会福祉・医療事業団に出向し、徳島県保健環境部環境保全課長、同企画調整部企画調整課長、社会福祉・医療事業団企画指導部上席調査役、日本貿易振興会ニューヨークセンター駐在員などを務めた[1]。
2003年(平成15年)8月29日、厚生労働省医薬食品局長に就任[2]。
2005年(平成17年)8月26日、厚生労働省大臣官房長に就任[2][4]。
2006年(平成18年)9月1日、厚生労働省老健局長に就任[2]。
2008年(平成20年)7月11日、厚生労働省社会・援護局長に就任[2]。
2009年(平成21年)7月24日、厚生労働省医政局長に就任[2][7]。
2010年(平成22年)7月30日、厚生労働事務次官に就任[2]。
2012年(平成24年)9月10日、退官[3]。退官後は京都大学iPS細胞研究所特定研究員を務め、2014年(平成26年)10月1日には京都大学理事に就任した[2]。
年譜
[編集]- 1973年(昭和48年)8月 - 国家公務員採用上級甲種試験(経済)合格[1]
- 1974年(昭和49年)
- 1976年(昭和51年)7月 - 厚生省年金局年金課[2]
- 1977年(昭和52年)4月 - 厚生省年金局年金課主査[2]
- 1978年(昭和53年)5月 - 厚生省年金局年金課企画法令第二係長[2]
- 1980年(昭和55年)6月 - 厚生省保険局医療課課長補佐[2]
- 1982年(昭和57年)4月 - 厚生省保険局国民健康保険課課長補佐[2]
- 1984年(昭和59年)4月 - 徳島県企画調整部青少年婦人室[2]
- 1985年(昭和60年)4月 - 徳島県保健環境部環境保全課長[2]
- 1986年(昭和61年)4月 - 徳島県企画調整部企画調整課長[2]
- 1987年(昭和62年)4月 - 厚生省健康政策局総務課課長補佐[2]
- 1988年(昭和63年)4月 - 厚生省大臣官房会計課課長補佐[2]
- 1989年(平成元年)6月 - 厚生省大臣官房総務課広報室長[2]
- 1990年(平成2年)6月 - 厚生省大臣官房老人保健福祉部老人福祉課シルバーサービス指導官[2]
- 1991年(平成3年)7月 - 社会福祉・医療事業団企画指導部上席調査役[2]
- 1992年(平成4年)
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)7月 - 厚生省薬務局経済課長[2]
- 1997年(平成9年)7月 - 厚生省健康政策局経済課長[2]
- 1998年(平成10年)1月 - 厚生省健康政策局総務課長[2]
- 1999年(平成11年)8月 - 厚生省大臣官房会計課長[2]
- 2001年(平成13年)1月 - 厚生労働省大臣官房会計課長[2]
- 2002年(平成14年)8月 - 厚生労働省大臣官房審議官(医薬保険・医政担当)[1]
- 2003年(平成15年)8月 - 厚生労働省医薬食品局長[2]
- 2005年(平成17年)8月 - 厚生労働省大臣官房長[2][4]
- 2006年(平成18年)9月 - 厚生労働省老健局長[2]
- 2008年(平成20年)7月 - 厚生労働省社会・援護局長[2]
- 2009年(平成21年)7月 - 厚生労働省医政局長[2][7]
- 2010年(平成22年)7月 - 厚生労働事務次官[2]
- 2012年(平成24年)9月 - 退官[2]
- 2013年(平成25年)4月 - 京都大学iPS細胞研究所特定研究員(最先端研究)[2]
- 2014年(平成26年)[2]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m “厚生労働省辞令”. じほう. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av “略歴等”. 京都大学. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b “国家公務員法第106条の25第1項等の規定に基づく報告(平成25年4月1日~同年6月30日分)” (PDF). 総務省. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b c “厚労省幹部人事 医薬食品局長に福井和夫氏、阿曽沼氏は大臣官房長に”. ミクスonline (ミクス). (2005年8月26日) 2021年8月25日閲覧。
- ^ “新霞が関人脈 阿曽沼・厚労事務次官は広島学院の出身 広島県”. 現代ビジネス (講談社). (2012年3月11日) 2021年8月25日閲覧。
- ^ “先輩からのメッセージ” (PDF). 厚生労働省. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b “全養協通信 No.209” (PDF). 全国児童養護施設協議会. (2009年7月24日) 2021年8月25日閲覧。
官職 | ||
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先代 水田邦雄 |
厚生労働事務次官 2010年 - 2012年 |
次代 金子順一 |
先代 外口崇 |
厚生労働省医政局長 2009年 - 2010年 |
次代 大谷泰夫 |
先代 中村秀一 |
厚生労働省社会・援護局長 2008年 - 2009年 |
次代 清水美智夫 |
先代 磯部文雄 |
厚生労働省老健局長 2006年 - 2008年 |
次代 宮島俊彦 |
先代 鈴木直和 |
厚生労働省大臣官房長 2005年 - 2006年 |
次代 太田俊明 |
先代 小島比登志 |
厚生労働省医薬食品局長 2003年 - 2005年 |
次代 福井和夫 |