阮福昊
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阮福昊 | |
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各種表記 | |
漢字・チュノム: | 阮福昊 |
北部発音: | グエン・フック・ハオ |
日本語読み: | げんふくこう[1] |
阮福昊(グエン・フック・ハオ、ベトナム語:Nguyễn Phúc Hạo / 阮福昊、永佑5年11月27日(1739年12月27日) - 景興21年2月19日(1760年4月4日))は、広南国の王族。穆王阮福暘の父にあたる[2]。
生涯
[編集]武王阮福濶と左宮嬪であった張氏黄の間の庶子(九男)として生まれた[2][3]。
武王から王世子に立てられた[2]が、景興21年(1760年)に武王に先立って急死した[2]。太保郡公を封贈され[2]、龍湖(現在のトゥアティエン=フエ省フオンチャー市社)に葬られた[2]。嘉隆元年(1802年)に甥の阮福映が阮朝を建てると、孝宣王の諡号を追諡され、嘉定に祀られた[2]。後に嘉隆3年(1804年)に濬哲温良英睿明達宣王と増諡され、龍湖に祀られた[2]。