阪口哲也
阪神時代(2011年6月9日) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府岸和田市 |
生年月日 | 1992年8月31日(32歳) |
身長 体重 |
180 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 2010年 育成選手ドラフト1位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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阪口 哲也(さかぐち てつや、1992年8月31日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(内野手・育成選手)、野球指導者。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学校1年生より「貝塚リトル」で硬式野球を始め、土生中学校在学時には「岸和田ボーイズ」に所属。
市立和歌山高校では、1年の春季大会からベンチ入りし、高校通算20本塁打。甲子園出場経験はなし。川端慎吾は貝塚リトル時代から高校までの先輩に当たる。
2010年のドラフト会議にて阪神タイガースから育成1位指名を受け、11月10日に支度金200万円・年俸300万円で仮契約[1]。
プロ入り後
[編集]2011年、ウエスタン・リーグに30試合出場し、打率.125、本塁打0本の成績であった。
2012年、ウエスタン・リーグで46試合に出場し打率.238、4打点の成績で、前年より成績を向上させた。本職の二塁手の守備では1失策と安定していたものの、18試合で担当した遊撃手の守備においては6失策を数え、守備率.857と課題を残した。
2013年、ウエスタン・リーグで69試合に出場し、打率.277、13打点を記録した。守備位置は、遊撃手を中心に二塁手・三塁手・外野手としても起用された。遊撃手としては22試合に出場し3失策と前年よりは守備面では安定性を増した。同年シーズンをもって育成選手として3シーズン在籍したため、育成選手の規約に基づき、10月31日に自由契約公示された[2]が、11月11日、育成選手として再契約した[3]。
2014年、10月1日に球団から戦力外通告を受け[4]、10月31日に自由契約公示された[5]。
プロ退団後
[編集]2015年より、社会人野球のパナソニックに入社した[6]。2018年シーズン途中に選手兼任で守備走塁コーチに就任し、この年限りで現役を引退[7]。
2019年からは専任の守備走塁コーチ。2022年限りで退部し、以後は社業に専念している[8]。
選手としての特徴
[編集]高校通算本塁打20本の強打に加えて俊足巧打が持ち味[9]。本職は二塁手だが、遊撃手・三塁手も守る[10]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 122 (2011年 - 2014年)
登場曲
[編集]- ギフト - ET-KING
脚注
[編集]- ^ 虎育成D1位・阪口、背番「006」つけたい サンケイスポーツ、2010年11月11日。
- ^ 2013年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年11月1日閲覧。
- ^ 育成選手との再契約について 阪神タイガース公式サイト 2013年12月11日閲覧。
- ^ 来季の選手契約について 阪神タイガース公式サイト 2014年10月1日配信
- ^ http://www.npb.or.jp/players/2014pndev_released.html 2014年11月1日閲覧。
- ^ “阪口哲也選手のネクストステージ” (2014年12月25日). 2014年12月25日閲覧。
- ^ 岡本育子 (2019年9月9日). “日本選手権代表をかけた3年ぶりの阪神OB対決、今度はコーチ同士でした。”. Yahoo!ニュース個人. 2023年11月18日閲覧。
- ^ “勇退選手のお知らせ”. パナソニック野球部 (2023年1月26日). 2023年11月18日閲覧。
- ^ “2010年ドラフト指名者”. スポーツニッポン 2010年11月13日閲覧。
- ^ “ファームコラム”. 阪神タイガース (2012年3月28日). 2012年4月2日閲覧。