閼英夫人
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閼英夫人 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 알영부인 |
漢字: | 閼英夫人 |
日本語読み: | あつえいふじん |
閼英夫人(あつえいふじん、알영부인、五鳳5年(紀元前53年)1月[1] - ?)は、中国から辰韓に移住した中国帝室の娘・娑蘇夫人の子である[2][3][4][5][6][7][8]。閼英夫人は、新羅の初代王・赫居世居西干の王妃で南解次次雄の母であるが、赫居世居西干も娑蘇夫人の子である[8]。『三国遺事』によると、閼英夫人は閼英井の傍に現れた龍の左脇(『三国史記』では右脇)より生まれたと記録されているが、著者一然によると、龍とは娑蘇夫人である[9]。
概要
[編集]朝鮮正史『三国史記』を著した金富軾が中国宋に使臣として赴いた時、祐神館に参拝すると女仙の像が安置してあり、宋の翰林学士が「これは貴国の神だがご存知か」と言い、「昔中国の帝室の娘が辰韓に辿り着き、子を生んで海東の始祖となった。娘は地仙となり長らく仙桃山にいた。これがその像だ」と説明した[10]。正史における辰韓、海東の始祖、つまり新羅(の前身)ということは、海東の始祖とは赫居世居西干である[10]。
慶州国立公園内に「聖母祠遺墟碑」という遺跡があり、「娑蘇が辰韓に来て赫居世居西干と閼英を生み、東国初の王となった」と記録されている[11]。
史書における娑蘇
[編集]其始到辰韓也。生聖子為東國始君。蓋赫居閼英二聖之所自也。故稱雞龍雞林白馬等。雞屬西故也。嘗使諸天仙織羅。緋染作朝衣。贈其夫。國人因此始知神驗。
(娑蘇は)はじめ辰韓にきて、聖子を生み、東国の最初の王となった。たぶん、赫居世と閼英の二聖を生んだことであろう。それで鶏竜・鶏林・白馬(など)の称があるが、(これは)鶏が西がわ(西方)に属するからである。あるとき(娑蘇が)諸天の仙女たちに、羅うすものを織らせ、緋色に染めて朝服を作り、彼女の夫に贈った。国の人がこのことによってはじめてその神験を知った。 — 三国遺事、巻五、感通第七条
家系
[編集]系図
[編集]N/A | 사소부인 娑蘇夫人 | ||||||||||||||||||||||||
혁거세 거서간 赫居世居西干 | 알영부인 閼英夫人 | ||||||||||||||||||||||||
남해 차차웅 南解次次雄 | |||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ 『三国史記』巻1
- ^ 金杜珍 (1995年8月18日). “高句麗 開國神話의 英雄傳承的 성격” (PDF). 國史館論叢 第62輯 (国史編纂委員会): p. 58. ISSN 1226-1882. オリジナルの2022年10月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ 野村伸一 2001, p. 3
- ^ 延恩株 2011, p. 94
- ^ 韓国民族文化大百科事典
- ^ 国語国文学資料辞書
- ^ 이상희
- ^ a b 延恩株 2011, p. 92-93
- ^ 延恩株 2011, p. 92。 『三国遺事』「新羅始祖赫居世王」
- ^ a b 北島由紀子 (2016). 朝鮮神話に見る女神の原像. 九州大学. p. 104 .
- ^ 김성호『씨성으로 본 한일민족의 기원』푸른숲、2000年3月16日、239頁。ISBN 8971842709。
- ^ 金思燁『完訳 三国遺事』明石書店、1997年11月15日、385-386頁。ISBN 978-4750309927。
参考文献
[編集]- 野村伸一『東シナ海周辺の女神信仰という視点』26号、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会〈慶応義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション〉、2001年4月。 NAID 120000805871。 NCID AN10032394 。
- 延恩株「新羅の始祖神話と日神信仰の考察 : 三氏(朴・昔・金)の始祖説話と娑蘇神母説話を中心に」『桜美林論考. 言語文化研究』第2巻、桜美林大学、2011年3月、83-100頁、ISSN 2185-0674。
- 사소 娑蘇. 韓国民族文化大百科事典
- 『ネイバー知識検索 사소 娑蘇』国語国文学資料辞書 。
- 이상희『꽃으로 보는 한국문화 3』넥서스、2004年3月10日。ISBN 8957970258 。