関野作次郎
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関野 作次郎(せきの さくじろう、1859年(安政6年)-1935年(昭和10年)10月12日)は明治・大正・昭和期の篤農家及び農業指導者。号は莨斎(りょうさい)または莨耕(りょうこう)。
略歴
[編集]- 1859年(安政6年) - 相模国大住郡名古木村(現:神奈川県秦野市名古木(ながぬき))に生まれる。
- 1896年(明治29年) - 栃木県煙草栽培実業教師に就任。
- 1897年(明治30年) - 秦野専売局秦野試験場技師の技師に就任。
- 1901年(明治34年) - 煙草種子播器を発明。
- 1905年(明治38年) - 煙草栽培技術指導講師として秋田県へ派遣される。
- 1906年(明治39年) - 煙草栽培技術指導講師として広島県へ派遣される。
- 1935年(昭和10年)10月12日 - 死去。享年77。
その他
[編集]- 書画や和歌に通じており、農業指導や煙草栽培指導にも自作の書や歌を積極的に活用した。
出典
[編集]- 『秦野市史 第3巻』(秦野市 1983年)
- 「第五章 産地の功勞者 一、関野作次郎氏」『神奈川縣煙草誌』(神奈川縣煙草耕作組合連合會 1949年)